トレーナーとは
僕はもちろんトレーナーではない
だから教え方もわからないししっかりとした知識はない
あくまでも自分が経験してきたマラソンやトライアスロンなどのスポーツから得た
あくまで自己流の自分にあったやり方
だけだ。
しかしトレーニングをしていく上で色んなトレーナーに接してきた
うちの会社で以前の格闘技ブーム真っ盛りにキックボクシングのジムを3年ほどやっていたこともあってトレーナーの良い所悪い所も普通の人よりは見てきた
またトライアスロンや通ってるジムでもたくさんの専門のトレーナーを見てきた
その上で僕が感じるトレーナーの役割とはなにかなと最近感じた
それはどの分野のトレーナー、もっと言えばスポーツに関わらず先駆者として先生などと呼ばれる人には共通して必要または求められるものなのに気づいた
それは
「意味のないことに意味を持たせる」
そんなことを感じる
トレーニングなんてやらなくたって生きていける
それこそトレーニングやってない人の方が日本の社会ではまだまだ多い
そんな人達から言わせれば
「なんでわざわざ疲れることしなきゃいけないの?」だろう。
そして、やってる人だってそんなに自分で何のためにやってるか明確な人なんていない
僕だって、「なんでトライアスロンやってるの?」と聞かれれば明確な答えなんてない
それはもはや、いつか死ぬ事がわかっていて必死に生きてる人間に対して「なんで必死に生きてるの?」と聞いているのとなんら変わらない
生きてる理由が明確な人間なんて中々いない
それでも人は必死に生きるのさ
いつか死ぬとわかっていても。
それはクリアがないロールプレイングゲームを必死にやってるぐらい途方もないことでもそれが人が生きるという事だと思う
きっと人間は無責任でありながらもあと1年で世界が滅びるとわかっても意外と真剣に必死に生きる真面目な生き物なんだ
話は戻って、トレーナーとはつまり無意味なトレーニングや意味のないことに、目標やゴールを少しづつでもつくってあげて
意味のなかったことに意味を持たせてあげる
そんなことが大事なのではないかと考える
そしたらきっと意味のない事や僕が言うような無駄な努力にもきっと意味を見出して無駄じゃない努力に変わっていくのではないだろうか
スポーツに限らず世の中のすべてのトレーナーや先生と呼ばれる人達が、相手の為を本気で思ってそこまで考えられればトレーナー業ほど素晴らしいものはない
それこそ義務教育の学校の先生なんてのは
「人生は生きるに値する」
そんな事を教えていくのが本当の使命なのではないだろうか
そして僕が通うトレーニングジムのトレーナーに今日、限界以上に走らされて酸欠で死亡して1時間のトレーニング中40分ぐらい記憶が飛んでるけど
やる前はこんなのできっこないと思っていた事を終わってみたらやりきっていて
トレーナーとしての最大の成果はこれだと思った
クライアントができないと思ってたことを超えさせる
それは体力面でも精神力面でも双方からトレーナーの技術が必要だ
ここのジムが出来たことからいる大御所のトレーナーのトレーニングを受けてみて
死ぬかと思ったけど
終わってみたら、やって良かった そう思えた
ただやらせるのとは違う
簡単そうで難しいことだ
サハラマラソンのために15%の傾斜を付けて走る練習をしたらいいとアドバイスを受けてたのに
気づけば25%の傾斜を走ってた…
アホかっΣ(゚д゚lll)
でもこれが本番で1番効くんだな
練習で泣いて本番で笑おう
僕はトレーナーになるつもりはないけれどequalを通してそんな素晴らしいトレーナーとクライアントのはじめの一歩に関わっていける様な事業に今後していこうと密かに事業ビジョンを企んでいる
真面目な話になってしまったが、酸欠になって頭がおかしくなったのかそんなことを語ってみた長栄潔トライアスロンを通したきょうこの頃
早くまた髪の毛伸ばしたいT_T