90年代”

90年代世代
バブルなんて味わったことのない僕ら90年代世代は
逆に不景気なのかどうなのかもよくわからない混沌とした世代だった
世間ではアムラーやガン黒ギャルが流行り同じ世代でもヤマンバメイクにはまるで魅力を感じれなかった
自分達が最先端を生きていたとはとても言い難いが
自分達が世界の中心であった
そんな時代を一世風靡していたのは『アユ』こと浜崎あゆみだった
僕は当時から大して興味もなかったし
大して変わらない歳の彼女に見下されているようで負けているようでむしろ悔しかった
直接会ったことなんてもちろんないけど絶対に調子に乗っていただろう
僕なら乗るw
僕が好きなのは
尾崎豊とか長渕剛といった流行りではない長く愛される人達がカッコよく見えた
それはバブルなんて味わったことのない僕らの世代がなんとなく世の中を当時から感じていたり
「バブルがはじけた」なんて言葉を聞いて
流行りには終わりがある
そんなものを感じていたからかもしれない
僕は中学生ぐらいのあゆ全盛期からずっと感じていた違和感があった
それは
『あゆが30年後オバちゃんになって流行っている姿が想像できない』
だった
そして今あれから20年以上が経ち
世の中は思っていた以上に進化して当時では想像もしていなかった様なデジタル化され
世界は顔の見えない誹謗中傷で溢れ
17歳だった彼女もその渦のど真ん中に叩き落とされている
太った 可愛くない ステマだ アユも終わった 醜い
それが真実かどうかなんて裏腹に時代はそういう事が平気で飛び交う時代になっている
昔から人の心の中なんてそんな僻みや妬みで溢れていたのかもしれないが
そんな心の声が表に出る事は少なかった
だけど今の時代はそんな人の心の奥底の真っ黒な声まで呟こうとする怖い時代だ
僕はSNSなんてない時代から心の中に押さえておく事が出来ずに声を荒げて出してしまう人間だったが
良いのか悪いのか本当なら声に出さない人間まで指先ひとつで発信できる時代になってしまったということ
あゆ自身は自分の30年後をどう描いていたのだろう
それは想像以上だったのか
それとも想像していなかった自分なのか
少なくても僕は当時
人を見下した様な自信に満ち溢れた彼女より
いま必死に輝きを失わない様にもがいているあゆの方が好きだ
僕が見たいのは落ちて行く彼女ではない
ここから這い上がる
ただの女の子が本当の歌姫になる
そんなヒストリーを見ていたい
それもあり何故だか芸能人のSNSなど見た事ないのに彼女のインスタをフォローしてしまっているw
落ちても這い上がっても90年代世代と呼ばれる色んなものが混沌とした僕らの世代は沢山そう言ったものを抱えている
当時の中学生の僕はそう言いながらも自分の30年後などなにも見えていないどころか
これから義務教育が終わり決められていない道を進む事はただただ不安と恐怖が大きくて
自分の人生はどうなってしまうのだろうと怯えていた
そんな不安だらけの人生には
「生きる価値などない」
そう思って毎日をくだらなく生きていた。
だけれどいまあれから20年以上が経ち
今から30年後の自分は色付きで鮮明に見える
こう成りたいこう在りたい
という姿がハッキリとしているなれるかどうかは別にして
そしてなにより
人生は生きるに値する
そう思えている自分が生きている
三十代もあと三年とちょっと
やりたい事が沢山ある
時間がないなんて思わない
全部やる
この子達の未来のためにもやらなきゃならない
専務の家族とご飯
うちの子のが数ヶ月早いのに抜かれた
それと比例してお父さんも大きくなってる(・・;)
2017..8.24 長栄潔