人生苦なくして楽なし〜長榮潔〜

ゴキゲン鳥渋谷店のランチ

 
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2013年人生はじめてのトライアスロン(swim bike run)に挑戦 15歳以来運動とは無縁の堕落した世界を生きて来た僕が 世界三大タイトルの IRONMAN ultramarathon100㎞ DMSサハラマラソン に死ぬまでに1度挑戦して完走してみたいと覚悟した 1㎞走れなかった32歳の僕が途方もない挑戦をしながら 人生に社会に経営に家族に生きるということに本気で向き合っている ロクデナシの僕にできるんだ他にできない人なんていない  人生はequalだ 仕事も家族も遊びもバランスが大事

静かに暮らしたい

 

なるべく小さな幸せと

なるべく小さな不幸せ

なるべくいっぱい集めて

 

 

そんな風に思ってる僕がなんで必死に寝る間を削ってでも働いて稼ぎたいのか

 

 

 

彼の名は大森洋介(本名)30歳

 

株式会社ゴキゲンファミリー(当社)に入社したのはもう何年前だろう

 

2店舗目の成城店のアルバイトとして応募があったからもう7年前か…

 

当時は求人倍率が今ほど高くなく求人だせばアルバイトの面接に長蛇の列ができた

1店舗目の下北沢店など500人応募が来て300人面接して12人採用

新卒ではないアルバイトの面接だ

 

選びたい放題

 

そりゃあ企業も調子に乗る

 

そんな時代に彼はうちに履歴書を送った

 

 

あまりの字の汚さに僕は即答で履歴書だけ見て却下した

 

しかしなぜか何度却下してもまた僕の机に履歴書が戻ってくる

 

役員の白熊くんが

「1度でいいから会ってくれ」と言うのだ。

 

どう見てもヤクの売人にしか見えなかった彼に会うだけ時間の無駄だと思ったが(なんせ何人でも変えがいる頃)

そこまで言うならと会ってみた

 

僕の性格上会ったら断れない

 

白熊はそれをわかってて会わせたのだろう

 

ヤクの売人だか、やくみつるだかわからない彼はめでたく関門を切り抜けた

 

 

 

 

 

 

 

 

成城店で一緒に働くとまぁいい奴だ

 

そこそこ料理もできたし文句も言いながらだがいくらでも今では完全ブラックな長時間労働もこなしてくれる

 

 

1度本気で怒ったのは

お客様から

モツ煮にバンドエイドが入ってると食べる前に怒られた

 

犯人を探して見ると

洋介が泣きそうな顔して

 

 

「僕の手についてたバンドエイドがない」

 

とか言い訳してる(・・;)

 

あの時はお客様にひたすら謝って他の会計も全部タダにして痺れたな

 

 

だけどこいつはバイトなのになんの気兼ねもなく僕になついてくれて

飯連れてけだ飲み連れてけだ旅行連れてけだと

 

僕は基本言われたら断れないので全部了承してたら

なんでもだいぶ周りからひがまれてたらしい

 

僕はそんなの知ったこっちゃないしくだらないと思うが、その頃からあんまり洋介が誘ってこなくなってた

 

一緒にインド旅行行ったのもこいつとだった

 

ヨガ修行してアシュラムの飯が不味すぎて泣いてたし

ガンジス河入ったら洋介だけ高熱出てるし

 

 

 

最後は

「もう日本食が帰って食べたい」

とか泣いてたな(笑)

 

自分で連れてけとか言っといて失礼な奴だが嫌いじゃないそんな奴

 

 

 

そんな洋介も会社がデカくなって次の店舗次の店舗と行くうちに会う機会も減って気づいたら辞めるとか連絡きてね

寂しかったけど当時の自分には会社がデカくなることはこう言うことだと思ってた

 

それよりも店舗を出したかったし会社をデカくしたかった

 

その先に必ず成功があると思っていたから

 

 

そしたらこいつ

1年後ぐらいに

彼女連れて泣きながら会社来て

中々ハッキリ物事言わないで彼女が痺れ切らして

 

「あんたハッキリ言いたいこと言いなさいよ!」

 

とか言われたら

 

 

洋介「会社に戻りたいです」

 

とか言いやがって死ぬほど笑えたけど死ぬほど嬉しかった会社を続けて良かったと思えた出来事の1つだ

 

なんでも行った飲食の会社が、うちなんかのレベルじゃないほどブラックで仲間は全部中国人で辛かったみたいだ

 

当時で4.5年前だが

 

飲食なんて特にチェーン店はそれが当たり前でそのくらい腐った労働環境だ

 

 

 

その頃からゴキゲンファミリーでは労働環境を少しづつ整えてたから甘えん坊の洋介世代には良く見えたんだろうな

 

 

戻ってから彼は店舗ではなく

 

各店の労働時間を減らすために作った『セントラルキッチン』で働き始めた

 

というよりそこまでに3人くらいが脱落した場所だったから出来上がってなくて

 

彼がつくるところからはじめた

 

あんな頼りなかった洋介も1年離れたら立派になってた

頑張ってセントラルキッチンを創り上げやり遂げた

 

少なくてもあの時期にセントラルキッチンが出来上がってなかったら

今でもうちの労働環境は劣悪で労働基準法を守る事なんて出来てなかったかもしれない

 

なんせ

店舗でガラスープを炊くだけで8時間近くかかる

営業前に仕込もうと思ったらそれで1日の労働時間は目一杯だ

 

僕にはわからない

急速に店舗展開するところがなぜセントラルキッチンを置いて店舗の負担を下げようとしないのか

 

目先だけ見れば確実に経費は上がる

セントラルキッチンの場所代や人件費

にも関わらず外部からの売上に繋がらない部署

 

しかし店舗の負担は確実に減るしやり方次第ではまとめて仕込むことにより原価もかなり下げれる

 

しかし

あそこから数年

彼は会社には店舗には貢献しているのだが

なんせ裏方だからあまりその功績は評価もされず

試算表だけ見れば赤字をつくっているように見えてしまうなんとも切ない役割だ

 

どうしても評価は売上有りきでされるのが仕事

店舗の店長は賞与がつくのに

一見売上のないセントラルは今まで歩合給も付かずにやってきてくれた

 

 

前置きが長くなったが

 

そこで今回

使っていない渋谷店のランチの時間を場所借りて

プロデュースbyセントラルキッチンでランチをやらないかと提案したのだ

 

売上作れれば堂々と彼にも賞与も昇給も付けれる

 

だが

久し振りに一緒に働いたら

 

相変わらずふざけてるし

 

ご飯とお味噌汁どっちが右か左かという低レベルの事から教えなきゃならない

目を離すとすぐにいなくなっちゃう

それでも

手のバンドエイドだけは最新の注意で監視してる

 

年末の恵比寿店に出てた時の店長と比べたら雲泥の差だ

 

恵比寿の店長は怒るところなんて1つもなく、いつも僕が言おうと思ったことは既にやってあったり支持してあった

 

 

それに引き換えこのやくみつる…じゃなくて洋介は

 

何度言っても、焼き鳥の並べる順番をたった4種類なのに覚えない

 

むしろ一緒に考えたメニューだろ(・・;)

 

 

なんか手伝うつもりが完全に僕主導で動いてて、これじゃこいつの給与を上げる意味あんのかな?とか思ってしまうけど

 

 

残念だが

 

 

僕は

 

 

 

こいつが

 

 

 

大好きだ。

 

 

 

 

 

 

 

自分の給与を上げる為や会社が儲ける為に今さら現場に出て主導して働きたいとは残念ながらもう思えない

 

なんなら僕は静かにお坊さんにでもなりたいのだ

 

ミカン畑をやる夢も叶えたい

 

 

実は今年の目標の1つでもある引退ってやつだ

 

 

だけれどまだこうしてやらなきゃいけないことがあるみたいだ

 

 

自分のためには働かなくても

好きなやつの給与上げる為ならいくらでもやってやるなんにでもなってやる

 

それが今回、ランチを始めて現場に出てる理由

 

 

僕は役員会で宣言した

 

成功(目標達成)したら洋介の給与を上げて欲しい

失敗(目標不達成)なら僕の役員報酬をカットする

 

 

なぜ僕はリスクだけを負わなくてはいけないのか自分で言っておいてわからないが

 

 

何でもいいからあいつの給与が上げられるチャンスがあるならそれで構わない

 

 

だからこのランチの渋谷店での成功は何が何でも必要なんだ

 

 

僕にもメリットがあるとしたら

洋介が言ってた

「落ち着いたらまたどこか行きたいですブラジルとか」

 

またこいつと一緒に楽しい旅行に行けるの楽しみにここから数ヶ月は踏ん張る

 

てかこいつインドで懲りてないな(・・;)

 

てか旅行に行っても結果ぼくのおごりだからそれもリスクじゃねぇか

 

 

チクショう

 

まぁいいか…

 

 

水曜日だけは僕がランチにいません。

不安でさっきから落ち着かないのですがやってくれないと困るので託します。

 

 

お時間ある方は

 

絶対にバンドエイドはお茶碗の中に入れないように見張ってるので

 

是非、ゴキゲン鳥渋谷店の焼き鳥丼を食べに来てください

 

 

その一杯が恵まれない洋介の大きな一杯になります

 

 

こんな事書いてたら

いまLINEのセントラル部屋で

洋介が寝坊したとか言ってる(笑)

ほんとギャグだなこいつw

 

とりあえず忠誠を誓わせておいて良かった

 

 

 

2018.3.7

 

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2013年人生はじめてのトライアスロン(swim bike run)に挑戦 15歳以来運動とは無縁の堕落した世界を生きて来た僕が 世界三大タイトルの IRONMAN ultramarathon100㎞ DMSサハラマラソン に死ぬまでに1度挑戦して完走してみたいと覚悟した 1㎞走れなかった32歳の僕が途方もない挑戦をしながら 人生に社会に経営に家族に生きるということに本気で向き合っている ロクデナシの僕にできるんだ他にできない人なんていない  人生はequalだ 仕事も家族も遊びもバランスが大事

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