人生苦なくして楽なし〜長榮潔〜

情熱が足りない

 
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2013年人生はじめてのトライアスロン(swim bike run)に挑戦 15歳以来運動とは無縁の堕落した世界を生きて来た僕が 世界三大タイトルの IRONMAN ultramarathon100㎞ DMSサハラマラソン に死ぬまでに1度挑戦して完走してみたいと覚悟した 1㎞走れなかった32歳の僕が途方もない挑戦をしながら 人生に社会に経営に家族に生きるということに本気で向き合っている ロクデナシの僕にできるんだ他にできない人なんていない  人生はequalだ 仕事も家族も遊びもバランスが大事

先日、妻の初ウルトラマラソンを終えて僕も走りながら必死に
「なんとか完走してくれ」
と何度も願ったのだが実際にゴールをしてみると
妻の記録は女子総合21位 初ウルトラマラソンで12h30という尊敬に値する記録

旦那さんがトライアスロンとかをやっていてそのうち奥さんもやるようになって、気づいたら旦那さんを抜いてしまって、旦那さんは辞めてしまい奥さんだけが続けているというケースを何度も見てきた

「男のくせに情けねぇな」
僕はそう思っていたけれど
僕の初ウルトラマラソンは14h30で死にそうになりながらとても走りきったというレースではなかったことを思い出し

今の心境は

僕才能ない辞めたい…

それを踏まえて振り返り



レース前日


最近は仕事や会食をなるべく夜に入れないようにしている僕には珍しく移動前日の金曜日に会社からの帰社が23時で寝たのは深夜2時を回るという僕にとってはありえない時間になっていた

何時に寝ても朝の5時か6時に起きてしまう僕は睡眠時間が3時間しか取れなかった。

そしてレース前日に大会会場すぐのロッジにチェックインして昨日寝てないから今日はサッサと寝ようと思ったが
子供に飯を食わせて風呂入れてとしているうちに気づいたら21時を回っているではないか。

慌てて22時前に床に入る
僕はその時点で妻の心配しかしていないのでもちろん子供の風呂も3人僕が入れて
次の日のレースの着替え以外の補給などの準備も全て僕がやる
とにかくレースの前日は少しでも長く良質な睡眠をとって欲しいその一心で

妻はちゃんと寝れるか不安がっている
その5秒後にイビキをかきはじめる

爆睡しとるやんけw

よし僕も寝よう💤と思ったら妻のイビキがうるさくて寝れない

僕が寝れないんか〜〜〜〜いっΣ(゚д゚lll)


やっと24時に寝れたと思ったら脚をツって目が何度も覚める

よく考えたら練習の時から人の心配ばかりしていて自分の心配など何もしてこなかったが、寝ながら脚がツルってけっこう最悪の状態だ

結局、深夜2時の目覚ましが不安でほとんど寝れず最悪の体調で眼が覚めるととなりで妻が

「あーけっこう寝れた〜」

と言って起きる。。

でしょうね。。。


だけどこの時点でも僕は自分のことはなんとかなるだろうとタカをくくっていた

120㎞ロードを走るくらい大したことない僕はサイラーではないがマイラーだと過信して


レース前の朝通り妻と朝から800cal分の専務の奥さんが作ってくれた朝カレーとバナナを食べてスタート地点へ!


レース作戦


僕は118㎞部門 4時スタート
妻は100㎞部門 4時30分スタート

自分の心配をしないで過信し続けている僕の作戦はこうだ

初めてのウルトラマラソンを不安にしている妻に伴走してあげるためには、最初から30分の差があるので㎞6分で走ったとして5㎞分。つまり13㎞分速く走れば本栖湖以降で折り返し後に妻に合流できる。そのためには妻のタイムスケジュールを考えると僕は90㎞地点(妻の70㎞地点)まで㎞6分で走り続ければいい。これは単純に10㎞60分だから100㎞をサブテンするペースだ。「それなら余裕だろ」また過信が出た。ナニハトモアレ作戦はこの通り。


走り始めて2㎞…


脚重っΣ(゚д゚lll)

なにこれまるでIRONMANでバイクパートが終わった時みたいな感覚だ

トライアスロンを知らない方に参考までに例えると
この前初めてIRONMANに出たマラソン得意なフルマラソンを2時間20分の記録を持つ選手がバイクで180㎞こいだあとにRUNに入ったらフルマラソンの距離を5時間かかった。そのぐらい自転車を上手くこなせないと悲劇的なダメージを受ける。


そしてこの日の僕はスタート2㎞でそれを感じる

よく考えればそれもそのはずだ
このレース1週間前でバイクロング練を2本して毎日ZWIFTやって日曜日はワラーチでトレランの練習までして2日前からまともに睡眠ができてない

タダでさえ普通じゃない方がどうかしてるのに僕のバイクの苦手具合からしたらダメージがない方がおかしい

今年取り入れたtraining peaksの疲労具合は常に-60オーバー


開始2㎞でこの脚でどうやってあと116㎞走るんだよと今更自分に問う

このまま走ったら来週自転車の練習ができなくなって元も子もない

そんなことはわかってる

そんなことはわかってるが不思議だ止めるのも悔しい

しかしそもそもなんで妻の練習はちゃんと強弱をつけたり休養も入れたりちゃんと客観的に必要なことを見れているのに自分のことになるとただバカみたいに我武者羅にやってしまうのだろう不思議だがこれが僕の生き方なのだろう

僕にとったら走ることは部活みたいなもので仕事は勉強
勉強はどんだけ頑張っても結果に繋がらなければ意味がない
逆に言えば頑張らなくても結果が出ればそれでいい
だけど僕の考えは部活は逆
結果よりも汗水流して頑張っている事が情熱なのだ
結果は出なくても頑張ったならそれでいいのが部活

 

レース結果

 

そんなこと考えているうちに40㎞地点

部屋に帰るには遠いとこまで来ちゃった

それに妻も今回4回目のジョージも頑張って走ってる

脚はこのままじゃ最悪なことになりそうだし僕のツールド沖縄が終わるかもしれない

だけど明日のことは明日考えよう今はただ僕も走ろう

そう思って㎞6分をなんとかキープして50㎞までは来るも徐々に遅れ始めた


 

50kmまではなんとか粘ったんだけどな

その後、本栖湖の入口76㎞地点では妻に追いつけないことが確定する

そもそも僕も遅れているのだが、1時間は遅れることを予想して作ったタイムスケジュールを1分もくるうことなく妻がこなしているのだ

これじゃ追いつけるはずもないw

とにかく妻にはなんとか完走してほしいことを願って
僕は後ろから来る今回4回目の挑戦のジョージの伴走に回る

妻に追いつけないのならせめてジョージを引っ張らなきゃ


そう思ったのも束の間

ジョージにも置いてかれる。。


そして、妻もジョージも引っ張るどころか僕が足を引っ張ってしまった僕のモチベーションは消え失せぼく自身が走る気力を失った


もうその時点で止めようかも考えた

けどなんだか楽しくなってきた

周りは人気もなくなり
次の関門時間は迫り
このままだと間に合わないかもと思いながら走る

関門時間を気にしながらマラソンを走るなんて何年振りだろ

走り始めた7年前はいつも関門時間を気にしてた
それぐらいギリギリだった

初めてのハーフマラソンでは多摩川の土手の石コロが越えられなくなるほど脚が痛かったし

スタート2㎞からずっと無理して走っていて脚は千切れそうに痛い

だけど懐かしくて悪くないこの感じ

走り始めた頃はいつも完走することに必死だった

もう次の関門には間に合わないかも

最後尾の車が来てもう時間過ぎたから乗ってくれと言われる

謝ってせめて次の関門地点まで自分の脚で走らせてほしいと頼む

せめて妻が走る100㎞までは自分も行きたい


そして100㎞地点

 

 

12h30で99㎞関門で終了



ちょうどその頃妻がゴールした連絡を受ける

良かったほんと良かった

この3ヶ月、どんなにキツくても練習を続けてきた

朝が苦手な妻が毎朝5時に起きて走り
子供の行事がある日は4時に起きて走り
脚が痛くても疲れても毎日お弁当やご飯は手を抜かず(抜けず)

必死にやってるのを間近で1番見ていたから何がなんでも完走してほしかった

努力をした人が報われなきゃ人生はやってられない




そして僕が護送バスに乗せられて(初めて乗ったかも)帰ると

4回目の挑戦の仲間のジョージも帰ってきた

 

 

富士五湖ウルトラマラソン118㎞ ジョージ完走!!

初めてみんなで挑戦した3年前

完走できなかった子達もそれで諦めてしまったがジョージだけは諦めなかった

なんでかは僕にはわからない
その違いもわからない

だけどその諦めない心が成功に繋がった

人生は諦めなければ失敗じゃない まさにそれを教えてくれた



情熱の灯火

 

完走したいという情熱を絶やさなければ必ずいつか成功する

それに引き換え今の僕はどうだろう


実はずっと進めているL.Aでのゴキゲン鳥出店の計画がここに来て急ピッチで進み始めていて、もしかすると年内でロサンゼルスに移住してしまうかもしれなくなってきた

元々はもっと早い予定だったがそこはアメリカ色々と問題もあり思うように進んでいなかったのだがここ最近で急展開

もう少し先になって春になるかなと感じていたのだが年明けには既にあっちに行っているかもしれない可能性も出てきた

L.Aでの事業計画中は走るがレースには出ないと決めている
特にターゲットにしたレースは
それどころではないと言ってしまえば言い方はネガティブだが
1年間は最低でも何よりも優先してゴキゲン鳥をL.Aで立ち上げることに集中したいからだ


そのせいもあってか
来年は彩の国にもチャレンジできない湘南OWSも然り

そんなことを考えているとまるでテンションが上がらないのだ

それに加えて今回の不甲斐ない結果

努力して這い上がる姿こそ理想だが 今回の妻の結果には自分の力の無さを突きつけられた

もうやめちゃいたいな〜そんな気持ちも事実だ

まんまとツールド沖縄の練習も今週できるような脚じゃなくなってしまった

ただただ下がる


それに引き換え

仕事に対してのモチベーションは

あと数ヶ月しか国内のことをできないと思うともっとやっておかなきゃいけない事がある、もっと残していかなきゃいけない事がある
と焦りもある一方で少しも時間を無駄にしたくなくて珍しく毎日仕事に追われながらも仕事への情熱は増すばかり


下がる情熱と上がる情熱

それも含めて僕は継続するということをまさに今試されているように思う




情熱の灯火は時に消えそうになり時に激しく燃えあがり人間の心とはなんとも理不尽だ

それでも僕らは今日を生きるために働かなきゃいけないし明日を輝いたものにするために勉強しなきゃならないし人生に彩りを添えるために時に走る


その全てはどれかだけではダメで
仕事も遊びも家庭もバランスが大事だと思う

そしてそれを上手くこなせる人なんていないのかもしれない

だけれどそれらを続けて行くことで見えてくるものもたくさんある


僕にとったらL.Aに出店することも100mileレースに挑戦することも全ては通り道でしかない

ではゴールはどこか? そんなものは人生にない

1つの大きな山を乗り越えたらまたもっと大きな山があるだけ

あのサハラ砂漠のど真ん中でもそうであったように、この砂丘を乗り越えたら終わりだろうと思ってもまたそこには次の砂丘が見えるのだ

なんとも厳しい

でもそれが人生だ


生きているだけで奇跡的であるこの人生の中で僕の理念は

 

 

明日死ぬとなっても悔いのない毎日を歩みむ


これに尽きる

今日という1日は明日世界が滅びるとなっても本当にやりたいことをやっているだろうか

そして僕は

明日世界が滅びるとしても今日ぼくはリンゴの木を植えられる
そんな人生でありたい

仕事も遊びも全ては=
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2013年人生はじめてのトライアスロン(swim bike run)に挑戦 15歳以来運動とは無縁の堕落した世界を生きて来た僕が 世界三大タイトルの IRONMAN ultramarathon100㎞ DMSサハラマラソン に死ぬまでに1度挑戦して完走してみたいと覚悟した 1㎞走れなかった32歳の僕が途方もない挑戦をしながら 人生に社会に経営に家族に生きるということに本気で向き合っている ロクデナシの僕にできるんだ他にできない人なんていない  人生はequalだ 仕事も家族も遊びもバランスが大事

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