人生苦なくして楽なし〜長榮潔〜

より過酷な境地を求めて

 
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2013年人生はじめてのトライアスロン(swim bike run)に挑戦 15歳以来運動とは無縁の堕落した世界を生きて来た僕が 世界三大タイトルの IRONMAN ultramarathon100㎞ DMSサハラマラソン に死ぬまでに1度挑戦して完走してみたいと覚悟した 1㎞走れなかった32歳の僕が途方もない挑戦をしながら 人生に社会に経営に家族に生きるということに本気で向き合っている ロクデナシの僕にできるんだ他にできない人なんていない  人生はequalだ 仕事も家族も遊びもバランスが大事

雪山に登りたくて

昨年、山梨の南アルプスの麓の町である韮崎に帰郷した㍿ゴキゲンファミリーの仲間である洋介との繋がりでボクもその町に行くことが増えた。

西を見れば南アルプス、南を振り向けば富士山、北を見れば八ヶ岳、東には秩父国立公園とまさに山に囲まれたこの町に山好きのボクは一瞬で虜になった。

夏の間、鳳凰三山、甲斐駒ヶ岳、富士山、八ヶ岳、金峰山と手当たり次第に選びたい放題なこの地域で沢山山に入らせてもらったが、この地域の山は冬景色になると厳冬期の冬山の厳しさに一変し、ランシューに短パンでは立ち入らせてくれなかった12月の甲斐駒ヶ岳

積雪しはじめた甲斐駒ヶ岳はマイナス15度の寒さ

だけれどそれでおめおめ潔く帰れないのがボク

それならばちゃんと準備をしてこの南アルプス周辺の山々に登りたい。

そしていつかは冬の富士山にもと心を弾ませた

厳冬期の雪山

2021年2月

念願の雪山に行く機会をへて山岳ガイドの方を知人に紹介していただき八ヶ岳にてガイドしてもらう

たまたまその日は前日の雨から雪に変わり、八ヶ岳にしては珍しくけっこうな雪が積もっている状態だった。

コースは美濃戸口から南沢コースで行者小屋を抜け文三郎尾根を通って赤岳山頂予定

しかし人生初のラッセル?(腰近くまである雪をかき分けながら急勾配を登る)にはマイッタ

流石に脚力じゃ登山の人にも劣らないと自負していたが一瞬で覆され置いてかれるw

トレースがあるうちはまだついて行けたが、、
こうなるとあっという間について行けないどころか2m進むのに何分もかかるw

こういうのを望んでいたから終始楽しいのだがなんせ進まない

そして森林限界を越え草木の無くなる高さまでやっとの思いで来ると今度は吹雪で目も開けられない痛いw

なんて世界だこれが冬山

よく表情が一瞬で変わるなんて表現されるけど、まさにその通りで人間など大自然の中ではまるでちっぽけな存在だと気づかせてくれる

この日はそこで時間切れ

下山まで考えると時間がかかりすぎた上にこの突風の中頂へは行けないと判断

しかし、いつもの様な悔しさはなく、厳冬期の雪山では迅速な判断の方が懸命だと思い知らされる

それに初回の雪山でなかなか経験できないこのコンディションを山岳ガイド付きで経験できるなんておそらくボクはツイてる

リベンジ八ヶ岳の頂へ

それでも次の日起きると、やっぱり頂まで行きたい欲求が沸々と沸き上がる

ただ思うのは山登りは人間の欲求に合わせてはいけない気がする

人間はあらゆる面で自分達の都合に自然の力を合わせようとしてここまで生き延びてきた

その結果、遥かに人間の力も自然の力も越えようとした原子力などはある意味いい例で制御できない巨大な被害をしっぺ返しされた

だからボクは天気予報と睨めっこして登りたい日に登るのではなく登れる日を探した

そしてリベンジの八ヶ岳は、3日前とは同じ山とは思えない表情であった

巨城の様な阿弥陀岳から八ヶ岳最高峰赤岳間でクッキリ

また天気だけでなく、コンディションの良い日は進むペースすら目を疑うほど違った

これが雪山の怖さだな

いっぺん悪天候になれば2時間で下山できるところが倍の時間かかっても降りることすらできなくなる可能性がある

それでも気を抜かず3日前に教わったことを1歩1歩繰り返すのみ

森林限界を超えるとさすがに風が強くなってくるが、目でコースが見えてるということがこんなに安心できるとは。

そして最後の赤岳山頂への登り

いざ頂へ

ボクは5年くらい前まで辛いことがある度に泣いていた。

仕事で上手くいかない時、仲間に思いを伝えられない時、仲間が辞めてしまった時、役員会議の最中でさえ涙を流すほど弱虫な人間で、従業員から弱虫社長と呼ばれたこともあった

泣いても泣いても物事は上手くいかなかった

だからボクは泣くのを辞めた

泣くのをやめて情けを捨てて強くなろうと自分に誓った

仕事を諦める時、仲間と離れる時、ぶつかる時、冷酷にも強くならなくては守りたいものを守れないと思った。

去年、飲食店を全店閉店して多くの仲間と離れ離れになり、自分の不甲斐なさに押しつぶされそうになる中でもボクは泣かないまだ大丈夫と自分に言い聞かせた

そして最愛の家族もボクの元を離れていった

孤独感と絶望感と誰も信じられないような虚無感に晒されてボクはもうこれ以上落ちようのない所まで落ちていたかもしれない

なんで生きてるのかもわからなくなる日があった。最愛の子供を失うってそういう事だ。

想像してみてほしい

自分が築き上げてきたものが脆くも崩れ落ちた時に、ある日突然目の前から最愛の子供が姿を消すことを

あなたなら耐えられますか?

それでもボクは泣かないを貫き通した

まだ終わりじゃない

だったら終わるまで涙なんて見せてたまるか

悔しさと悲しさは大きな力に変わりボクはただただ闇の中を歩いているようだった

そしていま現実でも極寒の寒さと突風の中、自然の脅威にさらされ丸裸にされて雪山を登っていた

右側は下まで突き抜けた雪の崖

10cm足をズラすだけで簡単に死ねそうだ

突風が吹いてもブレられない

ゆっくりでいい1歩1歩進むしかない状況

怖い…戻りたい…やめた方が良かったのか

泣かないと決めていたのに涙が溢れる

そしてその時にボクの口から紡ぎ出た言葉は家族の名前だった

心優、未來、美海、美空、パパは君達がいなくて強く生きていけるだろうか。自信がない。

それでも泣き叫んでも誰も助けてはくれない

だから行くしかない

八ヶ岳最高方赤岳山頂

歩みを止めなければいつか頂きに着く

真っ暗闇な極寒の暴風雨の中でも耐えることができれば必ず晴れる

時に厳しさをパワハラのレベルじゃない比で突き付けてくる厳冬期の雪山はそんな事も教えてくれる

雪山を通して知ること

ボクは昨年からドン底にいるがそのドン底でさらに靴を脱ごうと生きてきた

悲しみから逃げても苦しみから逃げても楽には絶対になれない

唯一逃れる方法は勇気を持って苦しみに手を突っ込むことだ

喜びや幸せは苦しみや悲しみの奥底にある

厳冬期の雪山は厳しく怖かった

だけれど本当に怖いのは雪山でも寒さでも滑落でも吹雪でもなく

怖いということを忘れてしまうこと

そんな風に感じた

雪山は怖い、厳冬期は怖い、滑落は危険だ

これらを忘れた時にとっても簡単に人間など死ねると思った

弱虫なボクにはちょっと怖すぎた

もういいかな、、と思ってしまった。

冬山の何が怖いか少しだけわかったのであっさり冬の富士山登頂は止めることにしましたw

だけどボクはきっとまたより高い頂を求めて行ってしまうだろう

その理由が何なのか探しに

だけれど唯一正直な自分でいられるのはそんな極限の世界でしかないんだ

赤岳山頂付近
ここは草木も育たない森林限界
赤岳山頂往復5時間30分

ボクの旅はまだまだ続く

強い父親でいるために

下界は暖かい♡
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2013年人生はじめてのトライアスロン(swim bike run)に挑戦 15歳以来運動とは無縁の堕落した世界を生きて来た僕が 世界三大タイトルの IRONMAN ultramarathon100㎞ DMSサハラマラソン に死ぬまでに1度挑戦して完走してみたいと覚悟した 1㎞走れなかった32歳の僕が途方もない挑戦をしながら 人生に社会に経営に家族に生きるということに本気で向き合っている ロクデナシの僕にできるんだ他にできない人なんていない  人生はequalだ 仕事も家族も遊びもバランスが大事

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