生きるとは日々を告白することである
昔々、グループ会社でホストクラブを経営していました。※もちろんボクはホストはやってませんできません
その時に、華麗なホストクラブの世界の裏側をみました。朝になるとホストの子たちがパンツ一枚でカップラーメン食べながら頭もボサボサで店で潰れて寝ています。稼げるのはごく僅かな人間だけで、売掛金を回収できずに給与明細がマイナスとかいうわけの分からない事も多々起きてました。
あれを見て、二度とやりたくないと思いました。
昨夜も焼き鳥屋に友達が来てシャンパンを入れてくれて大いに盛り上がりました。
小学校から一緒のゴキゲンファミリーの元役員のぼっけんがキャバクラでスナック菓子を抱えてボリボリ食べてました。
彼が昔、子供ができなくて悩んでいた時にボクは伊勢神宮まで500km自転車をこいでご懐妊祈願のお守りを買いに行きました。
絶対に子供ができたら人生が何倍も幸せになると思ったからです。
その後、子供ができて、本当に良かったと自分の事のように心から喜びました。
そんな彼は最近酔っ払うと、妻に子供を連れて逃げられたと僕のことを大声で笑ってバカにします。ボクは本気で傷ついています。
F◯ck!!
そして今日は案の定、朝から死にそうになって二日酔いで一日中お店です。
やっとの思いで少し落ち着いて、20時ギリギリに例の近所の家系ラーメンを食べてやると駆け込んだらもう店が閉まっていて今日もご飯が食べれませんでした。
仕方がないからチャーシュー弁当を買って誰もいなくなったお店を1人で片付けて真っ暗な中で1人でお弁当を食べました。
現実はこんなものです
15年前のホストクラブの閉店後の光景と大差ありません。
ビルを買って、大きな家を立てて、お店を何軒も持って、会社の社長になって、欲しい物がなんでも買えて、女の子が寄ってきても、
家族を持って子供に恵まれる幸せに勝る幸せはありません。
何かを得るということは何かを失う事でもあり、欲にまみれ業に侵され煩悩のままに強欲に生きてきたボクのような人間に平凡な幸せはありません。
犠牲にしたものの大きさに今頃気づいても人生とは取り返しのつかない事が多々あります。
もしも目の前に『普通の幸せ』があるのならそれを手放さないように、例え手に入らないものがたくさんあっても、その普通の幸せより大きな幸せはないと思い大切にするべきです
ボクはもう手遅れですが、
明日も明後日もチキン野郎駒沢はやっています
12:00〜20:00まで店内営業もやっています🍺
給付金の300万円を貰うのをやめてでも店内でお酒も提供しています。
休業してなんもしなければ300万円丸々儲かります。
お店を開けてお酒を出しても月に300万円は儲かりません。
だけれどうちが開けないと、酒屋さんやお肉屋さんは売上が立たないで給付金もないし、従業員はインセンティブも付きません。
だから開ける決断をしました。
寝てるだけで300万円貰った方がよほど楽です。
だけれど敢えて苦しい道を選択しました。
人生で分かれ道に出会ったら、苦しくてできれば選びたくない方を選べばだいたい正解です
でも閉店後真っ暗なお店で1人で弁当食うのはあまりにも寂しすぎました。
明日も明後日も誰かが来るのを待ってます
たまにすごく寂しいので誰か来てください
シャンパンもあと6本だけありますw
さぁ明日も生きよう