ボクの灯火
4年前にパンデミックで世界が変わった時
15年間やってきた会社が潰れかけた
6店舗あったお店は全店閉店
家族も失って
もう生きる気力もなくしかけてた
今日が始まって目が覚めて
「あーまだ生きてた。なんのために。」
今日が終わる時
「あーこのまま目が覚めなきゃいいのに」
って毎日思いながら生きてた。
人生を賭けてきた仕事と
人生で唯一大切な子供達の
両方を失って
もう何も失うものはないと思った
せめて生きてるなら
今まで自分のためばかりに生きてきたこの人生を他の誰かのために生きようと思った
そのはじまりが、
山梨の韮崎で、会社でも特に大好きだった洋介が、
「ゴキゲン鳥の看板を続けたい」
と言ってくれたことだった。
残ったお金を出してお店を作ってあげて
その代わりに彼はゴキゲン鳥の看板を守ってくれた。
ボクはあの静かな韮崎で数ヶ月過ごし、
厳冬期の甲斐駒ヶ岳や八ヶ岳と向き合い、
この何もない真っ白な雪の中で死んでもいいとさえ思っていたのに
2月の赤岳の山頂で一人ぼっちで降りられるかもわからくなった時
凍りついた地面に必死に捕まり
「死にたくない」
と何度も呟いた。
まだ生きれる
まだやらなきゃいけないことがある
こんな所でくたばってたまるか
その気持ちを忘れずにまだ生きていこう
そう思えたのがあの山梨の地だった。
あの年、ご縁のある素敵な方から、日本で1番大好きな富士山の麓の山梨の神社の奉納の声をかけていただいた
何の因果がこの神社に関われるなんてと心躍り、
ボクはすぐ毎年奉納して行くことを決めた
この富士山の麓のこの神社が大好きで
いつも富士山に登る前には寄るし
こんなボクがまだ生きていていいのか自分と向き合える場所だった
だけどあれから数年、
洋介の続けてくれた山梨のゴキゲン鳥は
洋介が金持って逃げて潰れたw
周りからはどうせそういう奴だから、お店なんて出してやるのも、お金を貸すのもやめろと言われてたけど、ボクはアイツが大好きだったし、何よりももう自分のために何かをやるつもりはなかったから、アイツのためになることを何かしてあげたかっただけだった
あの年に、なんだか一瞬山梨が嫌いになりそうになって、会社も大変なこともあって、もう浅間神社の奉納もやめようか迷ったことがあった
だけれど、誘ってくれた友達がボクを説得してくれて(笑)やっぱりこれだけは続けられる限り続けよう
これがボクが生きてる証の灯火だと思えた
あの時、彼がそう言ってくれなかったらボクはまた大事なことを失うところだった
ボクは給与と金もブランド品も時計も車もあまり興味がないし欲しい物ももうないから
せめてこんなことくらい続けたい
大好きな日本の富士山の麓で。
そんな富士浅間神社の奉納とお祭りが今年もあった。もちろんボクはアメリカだから行けないけど、友達がその思いを引き継いでくれて、また今年もこの灯火を灯すことができた
遠い海の向こうのアメリカでもボクの思いはあの灯火と共に生きている
自分のためじゃなく誰かのために何かのために結果を出すまではまだ帰れない
きっといつか胸を張って帰れるその日まで
ボクのこの灯火を燃やし続けたい