僕の100mileウルトラトレイル
この事をブログに書くのは最後です
だけど書いておかないと二度と書けなくなりそうだから
【100mileレース挑戦前半準備編】
ちょうど1年前にこの山で完走率0%だった100mileのモンスタートレイルレースがあると言われて僕は心踊らせ挑戦した
まともなロングのトレラン経験ほぼゼロ
準備ほぼゼロ
開始50㎞捻挫して反対の足も痛めて走れなくなって山の反対側の1時間に1本しかないような駅から虚しく帰宅
だけど完走できないのは当たり前だった
捻挫をしないための準備どころかトレランで捻挫をすることすら知らなかった素人なのだから
潔くない僕はもちろん1年後再挑戦を誓う
それに走ってみてとてつもないモンスターだと感じたが倒せる気もしなかったが何をすればいいかは見えた
1年前それだけでも僕にとっては収穫だった
僕はそこから1年間この埼玉越生の山をモンスターを倒すために必死に通った
取り憑かれたように時には1人で夜の山にも入った
暗くても怖くても遠くても
このモンスターマウンテンを倒すためにはやらなきゃならなかった
そしていつしか僕の中で必死に
倒そう倒そう倒そう
と思っていた気持ちは
山に受け入れてもらえる人間になろうという気持ちに変わった
僕にトレランを教えてくれた人は言った
トレランをやるからには
「強く 優しく 賢く」
なって欲しいと
そのどれもを僕は兼ね揃えていなかったが特に 「優しさ」 は貧しかった
だけれどこの山にいる時だけはそうではなかった
全てが許せて全てが許されている気持ちになれた
この山を倒すのではなく
この山に許されるのだ
そしたら僕のこの100mileレースへの挑戦も報われる
雨の日も雪の日も暑い日も寒い日も東京から片道約2時間
家族との時間も友達との遊びもみんなが酒を飲んでる時も
楽しいだけの時間は犠牲にして山に通った
去年のレースが終わった日
1年間で10回は来ようと決めて
気づけば30回近く来た
峠の名前すら知らなかった僕は
100mileの中にある峠の名前をコースの順番通りに全部すぐ言えるほど覚えた
トレランレースに慣れるために
去年はレースにも何十本も出た
40㎞から始まり101㎞まで
そして今年に入ってレースに出るのをやめて練習に専念した5ヶ月
むしろレースよりもキツイ練習をいくつもこなしていった
その全てはあのモンスターマウンテンに受け入れてもらうため
それ以外のゴールは考えてなかったし
あの山に比べたら去年出たどのレースも緩く感じた(CCCでライトが消えた時は流石に焦ったがw)
なによりもこの5ヶ月のトレーニング期間で格段とトレイルランナーになれた気がした
去年最後に出た伊豆トレイルジャーニーではあくまで慣れの一環で出て300位くらいだったが
おごるわけではなく控えめに言って今なら50位には入れる自信がある
そしてそんな最高の状態で
ケガなく体調不良なく言い訳なく
遂に1年越しのこの山とのレースを迎えた
【100mileレース挑戦後半本番編】
『彩の国トレニックワールド 100mile』
in 越生
越生ってどこだよって思った1年前
今なら美味い蕎麦屋も唯一のセブンイレブンもスーパーの飴くれるおばちゃんも1日10本のバスの時間まで言える
何度も通ったニューサンピア越生に前泊して準備
なんせここは飯屋の充実度が悪過ぎる
予約してなかったら夜飯も食えない
コンビニすらない
そんなことは重々承知なのでお弁当持参
妻が僕のレースのためになにかを直接協力してくれたのも、
僕が自分のレースのために妻に何かをお願いしたのもこれが初めてだ
朝7:00スタートのため朝はゆっくりいつも通り5:00amまで寝て
いつも通り坐禅とヨガをやる
ヨガをやってすぐに気づく
「すこぶる調子が良い」
毎日やってるヨガは僕の毎日の定点観測だ
調子が良いか体調が悪いかすぐわかる
今日ほどいい呼吸ができた日はなかった
いつも通りレース会場へはギリギリで行く焦っても仕方ないしすることもない
急ぐのはレースでいい
長いレースのせいか誰も先頭に並ばないのでど先頭ど真ん中ゲット
まぁどうせ僕のスピードじゃすぐに何十人も抜かれるせめて並ぶ順番だけでも得しておこう
自分のペースを心掛けて走る事数百メートル
あれ?
誰もついてこない
道間違えたか?
そんなはずないこの数百人の中で道だけは2番目に詳しい自信がある(1番は仲間のいつも一緒に走ってた雄介さん)
みんな長いから抑えてるのだろう
僕も無理に抑えるつもりはないが自分のペースで行こう
後ろから来たのは雄介さんだけでぼくらにとってはいつものペースなのだが調子がいいせいか身体が軽い
このレースで1位2位を雄介さんと並んで走れるなんて最高に幸せだ
前を朝から騒がしいなと鹿が横切る
以前の雄介さんを習って
「ごめんよ起こして」
と謝る。
やっぱり山は人を優しくさせてくれる
ペースが上がって脚に効いてないことだけを確認する。大丈夫
少し心配なのは心拍が上がりすぎてる
気づかないうちに無理してるのか?
しかしそれより冷静にそれを見れてる自分に安心する
少しペースを落として
やっと後ろが来た
速そうな人だから5人くらいに先を譲る
ここでトラブル
10㎞弱の1つ目のエイド(クヌギ村)手前で気づく
「ヤバ計測チップ落としたΣ(゚д゚lll)」
この計測チップ去年も落とした
ベルト式じゃないから腕から抜ける
今年は時計の内側に付けたつもりがまたしても
これ失格か?w
まぁそんなことは最悪どうでもいい
仮にレースとしては失格でも僕はこの山を100mile制限時間内に走り切りたい
自分の信念とルールに則って
1つ目のエイドで確認すると毎回エイドでゼッケンナンバーを報告すれば失格にはしないとのこと
助かったw
昨夜SNSで見てくれと言わんばかりに計測とゼッケンナンバーアップしたから見てくれてる人たちは計測地点に上がらない僕のナンバーを見て焦ってるかもしれない
最初そう心配したが
見てる方もドラマ
どうせなら心配させようとイタズラ心が芽生える
あとでホッとさせればいい
そんなことしてるうちに前の5人と開いてしまった
焦らずここはマイペース
また山に入るとおかしい
前に5人くらいいるはずなのに
蜘蛛の巣が張っている
ヌカルんだ地面に足跡もない
山では夜中に蜘蛛の巣が沢山張る
朝1番に走った人通った人はその蜘蛛の巣を全部直撃するというなんとも鬱陶しいことになるが
山の中ではそんなことすら輝かしい自然の彩りに感じる
しかし今日はレース
前にいる気配がない
前の5人完全にロスト(道に迷う)したな
速そうだったけどこの山に来たことないのか
やはり的中2つ目のエイド慈光寺20㎞地点で後ろから来てロストしたことを聞く
つまりここまでは1位だったw
この後が前半の山場の笠山峠
ここは焦らずマイペース
おそらく7番目くらいで3つ目の堂平山エイドに到着
速すぎてまだパスタが届いてないと言われる
このパスタを楽しみに登って来たのにw
仕方がないので先に進む
この時点で予定より20分くらい速い
また少し抑えるも仲間の雄介さんは行ってしまった
刈場坂峠でトラック販売のコーヒーが出てるのを知っていたのでブレイクタイム
20分速すぎるので5分休む
その間に数人抜かれる
それでも僕にとっては速すぎるのであくまで完走目的で良い
それでもまだ10番目くらいだ
凄い勢いで下っていった人が潰れてる
あぁはなりたくない
飯盛峠からは得意な区間
ひたすら脱力で下れる
去年のトップ選手が1時間半で降ってたのに対して僕は練習で1時間で降りてた
今日は間をとって脱力して1時間15分
1周帰って来て
去年よりコースが時間かかる設定になっているにも関わらず1時間15分速い7時間30分
目標は8時間だったからまずまずだ
ゆっくり休憩してウンチもして体調はすごぶる良い
まだまだイケる
ケガも痛いところもない
微妙に珍しく腰が痛いが影響が出るほどじゃない
そして今年も頼んだ3周目のペーサーの師匠にかならず帰ってくることを約束して出発
2周目はコースが違うので12時間で帰って来れば予定通り
夜が苦手な僕は明るいうちにどこまで行けるかが鍵
時間はまだ15:00
3時間でなんとか後半山場のデカイ峠は越えたい
関八州見晴台だ
去年はここでリタイヤを決断した
まだまだ調子は良い
女子の1位が後ろから来る
だいたいいつも僕は女子の3位くらいと同じペースだから女子1位は上出来だ
女の子好きな僕は少し話をする
ここのコースキツくて辞めたいと言う
マジか…
まだもう一周ですよと言うと3周目のことは考えないでとにかくこの2周目をやり切るとのこと
女子ってポジティブだ
さっきから3周目のことばかり気にしてた自分が情けなくなる
とにかく今はこの2周目を12時間で帰ることだけ考えよう
時間は予定通りだがそこそこ速い割には1周目のようにタイムが縮まらないことを少し焦りはじめる
予定通りなら良いはずなのに
それでも暗くなる前には予定より20分も縮まってた
余裕ができたので子の権現の茶屋だ甘酒飲んでオバちゃんと談笑して10分休憩
その間さらに抜かれるも時間は問題ないので焦らない
竹寺から天覚山までの得意なコース
緩やかに登ったり下ったりの尾根幹みたいなこの区間がみんな嫌がるが嫌いじゃない
そこそこ走れる区間でもある
しかしここから少し歯車が崩れる
何度も通って把握してるはずなのにピークを登ってるつもりが1つ手前のピークだった
力配分を間違える
この調子なら1時間は余裕が出るんじゃないかと期待した気持ちは裏切られ
むしろ20分の貯金を減らしてしまう
珍しく飲み物が空になる
残りの距離を誤算したためだ
それでも後は30分降りるだけで吾那神社のエイドステーションだ
そこまで行けば補給も出来る問題ない
それにまだ走れてる
痛みは?
左膝が少し痛い
今まで膝が痛くなったことはない
何でか自分に問い合わせる
たぶん着地も登りも左脚重視になってる
小さな痛みは後で取り返しのつかない事になるからバランスを意識する
そしてエイド
なんとウドンがあると言う
ジェルや痛み止めと言った化学物質は摂らない方針の僕には嬉しい誤算だ
美味すぎてお代わり
いま思い返しても美味い
ここで痛恨のミスをする
飲み物の補給も飲むのも忘れた
アホかと思うかもしれないが
疲れた眠気で冷静な判断ができなくなってきている証拠だ
次のエイドまで約10㎞
どうにもならない距離じゃない
しかしここでまたしても不利に働いたのは
何度と通って道や峠まで覚えてる僕が唯一地理的に苦手な箇所を挙げるならこの区間
苦手とはいえ道を覚えてないわけじゃない
ただどんな地形でどんなペースで行くべきかイマイチ苦手か把握できてないというだけ
ネガティブに考える必要はない
時計の距離だけを頼りに10㎞目指す
そろそろ次のエイドだろうと期待した矢先に次のエイド
「桂木観音まであと2.7㎞」
の看板
嘘だろ(・・;)
山の2.7㎞は時に長い
問題は体力より予定ペースに20分あった貯金がゼロになりさらに5分オーバーし過ぎたことだ
たかが5分と思うかもしれない
そう35時間の中のたった5分だ
しかしこの大会だけはその5分が下手したら命取りになる
時間のことばかり気にしている時はどんどんキツくなる
変なことばかり考える
僕はこの区間で何故だか会社を始めた時のことを思い出した
今年で15年目
起業したのは23歳の時だ
大学どころか高校も行ってない中卒の僕が勢いだけで起業して
右も左もわからずにはじめた
大変なことも沢山あったけどそんなことはどうでもいい些細なことだ
そんなことよりツラかったことでいつも思い出すのは沢山の仲間を失ったことだ
なんで東くんは続けられなかったのだろう
なんでマーティンはうちをやめてしまったのだろう
飲食をはじめるまでの7年間でまともに辞職したのはこの2人だけだった
だけどその後、飲食を始めてからもう数えきれない人が辞めた
なんで休みも要らないと言った淳はゴキゲン鳥を投げ出したのだろう
なんで平田くんはあんなことでいなくなったのだろう
なんでゴッチは会社より仲間より他に行ってしまったのだろう
なんで陽子は本当の気持ちを言ってくれなかったのだろう
なんでマサと一緒に夢を繋げなかったのだろう
なんでゴンちゃんはうちにあんなことをしたのだろう
なんで磯くんと一緒に同じ道を進めなかったのだろう
なんでたかしはうちじゃダメだったのだろう
なんでエビは普通を選べなかったのだろう
なんで雄介はわかってくれなかったんだろう
なんで諸川さんを守れなかったのだろう
なんでアフロを救ってやれなかったのだろう
なんで杏菜まで
なんでゆきおとは上手くいかなかったのだろう
数え上げたらキリがないほどの人間が離れていってしまった
そして
なんでうちの親は離婚してしまったのだろう
それなのに
なんで妻は最低な僕を許してくれたのだろう
夜の闇を走りながら
なんでなんでなんでと繰り返した
なんで僕は走っているのだろう
人生もRUNもなぜここまで走らなきゃいけないのだろう
それなのに僕には止まることは許されずただただ走り続けなきゃならない
もしもこんなに沢山の仲間を失ったのに走っている理由があるとしたら
失った以上にもっと沢山の大切な人達がいて待っててくれてる
今もこうして1年前できなかった僕のためにまたペーサーを引き受けてくれて待っていてくれてる
家では家族が待っていてくれてる
1人でも失いたくない仲間が会社にいる
僕は弱いから1人じゃなにもできない
だけど誰かの為になら大切な人を守るためになら
少なくとも今より強くなろうと思える
だから僕は走る
12時間5分 2周目が終わって帰ってきた
1周目と合わせて
RUNタイムで19時間30分
上出来どころか良すぎるタイムだ
※ちなみにレース後気づいたがこのタイムは同日開催同コースの100㎞だったら総合13位だ
目標には5分過ぎたけど1周目で15分貯金があるからタイムスケジュールは完璧
心は折れてない
予定通り14時間あれば残り1周イケる
しっかり予定通りの時間休んでいざ出発
あれ?おかしい
数分寝たのと朝が近づいたので眠気もないのに
脚が痛くて動かせない
気のせいだろうと進む
ダメだゆっくり行ってくれてるペーサーにすら着いていけない
なんだこれ
待ってくれよせっかく帰ってきたのに
このコースは熟知している
14時間じゃ全部歩いては完走できない
せめて山場の関八州見晴台まで行ければ残りは歩きでも行けるはず
ダメだ進まない…
ここぞと言う時に
足が折れても進むと
豪語する自分だが
足を折る力すら入らない
なんでだよ
頭も上半身も気力もある
肝心の脚が思うように動かない
コースを熟知し過ぎたせいか第1エイドの関門すら間に合わないことがすぐにわかり
僕の100mileレースは終わった。
100mileレースは長い
なにがあるかわからない
もしも止めるならなにかトラブルがあった時だろうと覚悟していた
しかし今回
トラブルなく体調良くまさかの天候まで味方して
これ以上のコンディションはなかった
まさかそれが自分のオールアウトで終わるとは思わなかった
現時点でマイナス要素が思い浮かばない
練習も完璧に近かった
レース運びも予定通り
準備もコンディションも
運までが味方していた
それでも届かなかった
それなら理由は実力不足のなにものでもない
しかし今思えば100mileかけて100%の力を使うところを僕は108㎞で100%使い切ってしまったのかも知れない
走ったことがある人なら誰でも一度は経験したことがあるだろう
次の日に歩行困難なほど脚が痛い経験を
僕にとって1番酷かったのは数日前にも偶然書いたブログの初めてのハーフマラソンだ
いや…あれ以来あれ以上に歩行困難になったことはない
初めてウルトラマラソンに出た次の日みんなが死んでいたが僕はそうでもなかった
IRONMANの次の日青木くんが歩行困難でも僕は走って山を登った
なのに昨日から僕は寝ても覚めても歩けない(・・;)
今までの僕はどれだけ出し切ってなかったのだろう
出し切るとはオールアウトとはこういうことか
IRONMANで自己記録を出した後も僕は歩くどころか仲間の応援を走ってしてた
いま僕は支えなしで歩けない…
なんてこった
1年間倒そうと思った相手を気づけば好きになり惚れて
アッサリ振られてしまった
誰でもわかるだろう
道端で可愛い女の子見つけてナンパして振られたのとは訳が違う
キャバクラで3ヶ月通って生活に影響が出るほどお金を使ったのにキャバ嬢を落とせなかったのとは訳が違う
1年間恋い焦がれて
片道2時間往復4時間
通って通って通って
絶対に両思いになってると疑う余地もなく告白して
『フラれた』
立ち直れないと言うより
どうしていいのかわからない
また1年かけて口説けって言うのか?
今はそう簡単には思えない
それなりに自分なりに犠牲にしてきた1年間だ
次に何をしたらいいのかどうしたらいいのかもわからない
一晩寝たらスッキリしてまたいつもの様に次の道が見えるかなと思ったけど
まるでスッキリするどころか
悔しさは募るばかりで
力の無さを悔やむばかりで
今はただ…なにも考えたくない