人生苦なくして楽なし〜長榮潔〜

渡邉美樹 実践経営塾 入学

 
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2013年人生はじめてのトライアスロン(swim bike run)に挑戦 15歳以来運動とは無縁の堕落した世界を生きて来た僕が 世界三大タイトルの IRONMAN ultramarathon100㎞ DMSサハラマラソン に死ぬまでに1度挑戦して完走してみたいと覚悟した 1㎞走れなかった32歳の僕が途方もない挑戦をしながら 人生に社会に経営に家族に生きるということに本気で向き合っている ロクデナシの僕にできるんだ他にできない人なんていない  人生はequalだ 仕事も家族も遊びもバランスが大事


学歴 中卒


中卒

そんな事を人生で気にした事は1度もなかった

それが僕の人生だったしそれが僕だったから

学歴なんてものは1つも持ってない唯一あるのは喧嘩してぶち込まれた少年院の卒業証書ぐらいだ

だけれどそれでもまともな奴らが親の金で学校行ってる時から社会で揉みくちゃにされた経験だけはあると思ってた

18歳ぐらいの時だろうか
さすがにこのままじゃヤバイと思って何か手に職を付けようと思い当時からおままごと程度には好きだった料理を学びたくて飲食店に勤めた

そこで先輩職人から初めに言われたのは

「料理人の世界はそんなに甘くない俺たちは15歳からこの世界にかけているんだ18歳からやったって一流にはなれない」

悔しかったけどそれ以上に情けなかったのはそこで頑張ってやろうなんて気持ちを当時の僕は持ち合わせていなかったこと

3日で辞めた

だけれどムカついたから
今から料理人にはなれなくても
いつかあんな奴らを使う側になってやるっていう身勝手な意志だった

10代の僕はほんとに何をやってもダメで何をやっても続かなくて
少しでも楽な方楽な道を探して生きてた

だけれど漠然とこのままトラックの運転手でも続けて
気づいたらずっと同じ事繰り返して歳をとってる人生なんて嫌だといつも思ってた


二〇代


地元の僕と変わらないような生き方してきた先輩が
歌舞伎町でNo.1のキャバクラの社長をやってた
当時、歌舞伎町でNo.1だと言うことはつまり日本でNo.1だ

最高にカッコよく見えて
僕もこの人について行ったら
お店や飲食店をいつか持てるかもと思って
その人の下で働いた

今思えばこの方も学歴や知識を持ち合わせていたわけではなかったが
社長にとって何が必要か
経営者はどういうものか
仕事とは何か
人との付き合い方
そんな生きた経営学みたいのを沢山教えてもらった

そして僕にとって今後の人生で全ての基盤となる経営の理念みたいなものを
この最初で最後の僕の社長であるこの人から学べて本当に良かったと
あれから数十年間経ったいまでも本気で思っている


会社経営


高校も行ってない勉強なんてしたことないどころか
税金の払い方も種類もはたまた消費税がなんなのかすらわかってない僕が
突然、法務局なんてところに行かされ会社を設立することになった当時23歳

理由は前述の社長に
お前は自分で会社を経営できる器だ
と言われたが当時の僕にはなんのことだかもさっぱりわからず

とりあえず会社の名前を当時飼ってた猫の名前にしたぐらいだ
こうして現 ㍿ゴキゲンファミリーは猫の名前で誕生したw
それがちょうど15年前


2010年飲食店進出

それからの7年間

理念もヘッタクレもない猫の名前の会社は
とにかく目先の利益と自分の得のためだけに仕事を選んでた

今ならわかるがそんな事業とうぜん上手く行くはずがなく
儲かったと思えば急降下して
何度も潰れかけた

何度も会社は潰れそうになったが
仲間内だけで始めた会社はなんとか生き残り
念願の飲食店をやりたいというところまで辿り着いた

しかし飲食店のことなんて10代で嫌になったらすぐ辞めたほどアルバイトをしただけ

何をしたら良いのかわからず
手に取った本があった


それが
ワタミの渡邉美樹社長の実話本
青年社長 作 高杉良
であった

自分が行ったことのある身近な居酒屋ワタミの赤裸々なその本の内容は僕にとって衝撃だった

たかが居酒屋の社長がここまでなれるのか!?

夢が膨らんだ

と言うよりも、僕が初めて人生で夢を持った瞬間だったかもしれない

僕も焼き鳥屋を100店舗出す!!しかも5年以内に!!!
なんの根拠もないが自信はあった

そこからワタミさんの出してる本を40冊近く買い漁りハジから順番に読み漁った

読めば読むほど渡邉社長の魅力に吸い込まれた
特に「サービスが感動に変わる時」は居酒屋をこれからやろうとしてるいた僕には本当に刺激を受けた

当時、叩かれたが
「できないならその窓から飛び降りろ」発言なんて
当時の僕も同感だと思ってた

成り上がりたければ死ぬ気で寝る間も惜しんで働くべきだ
それができないなら負け犬になれ
自分もそうしてきた
だから本気でそう思ってた


そして僕は小学校からの同級生と飲食業界居酒屋業界に殴り込んだ

場所は青年社長にも話しで出てきた下北沢
渡邉社長が今までで1番難しかったと言っていた地域だ
その地域で残れればどこでもやって行けると思った


半年くらい
朝から物件探しと事業計画を創って
夜は焼き鳥を焼く修行に出て
会社を始めて初めて電車に乗って
椎茸焼きながら寝てたこともあった

いままでの念いのない事業とはわけが違った

あの時、18歳からじゃ料理人にはなれないと言った奴を見返してやる
今まで何をやっても続かなかった自分を変えるんだ
この飲食業界で生きていくんだ
日本の本当に美味しい飲食を世界に広げるんだ

いま思えば経営理念なんて呼べるものじゃなかったけど
経営理念の基盤のようなものがこの事業にかける念いにはあった

20代付き合ってきた奴らがキャバクラで飲んでる時
僕はお客さんに正座させられていた
みんなが遊びに行ってる時
僕はグリストラップに手を突っ込んで掃除してた

だけれどそれでも自分の人生を変えたかった変わりたかった

ワタミさんのようにはなれなくて少しでもそんな生き方がしたかった


飲食業界の洗礼


オープン初日
朝の11時からひたすらレバーやはつを仕込んであっという間に営業時間になって
グチャグチャな状態で営業を終えて片付けをしたら明け方の5時だった
同級生で店長の純と一緒に下北沢駅前のワタミに行って
2人でため息を吐いてビールで乾杯した
明日は朝の10時から仕込みをする終わらないから
これがこの先ずっと続くと思ったらため息しかでなかった

今まで僕のやってきたことは何だったんだろ
どれだけ楽な人生を歩んできたんだ

純は言った「俺は365日休みはなくていいやるしかないよ」

オープンしたら引き下がれないそれが飲食店だった


少しは慣れてきたけど
僕自身も休みなんて半年以上なかった
純は本当に1年間1日も休まなかった

お客さんが入らなければ
連日大盛況の餃子の王将の前で入ろうとしてるお客さんに話しかけて
うちでもラーメンはあるから来てくれと呼び込んだ

バレンタインの日はチョコレートタワーを回して
ヒマな焼き鳥屋になんとかお客さんが来てくれる方法を考えた

できることはなんでもやった

もう恥もヘッタクレもなかった
20代繁華街のキャバクラの呼び込みに話しかけられても偉そうに店選んでた男が、いまはラーメン一杯のために土下座しかけてる


とにかくこの焼き鳥屋ゴキゲン鳥を繁盛させる会社をデカくするその思いだけだった

キツかったけれど楽しかった

だけれど飲食店の洗礼はこんなものじゃなかった

その後、3店舗続けて出店した3年目くらいだろうか

本当に3年間ほとんど休まなかった同級生の創業仲間の純は辞めたのを皮切りに

まだまだそんなのは序の口だった

飲食業界に入るまでの7年間ほとんど1人もと言っていいほど退職者のいなかったうちの会社からは続々と辞めていく人間が出た

そんなのまだいい方だった

右腕だと思っていた人間はアルバイトの女の子と駆け落ちして飛んだ

そんなのも今思えばいい方だった

一緒に1つ屋根の下で暮らしてた仲間から労働基準法で訴えられたこともあった

それもまだまだかわいい方だった

労働基準法を守ったら守ってるのに訴えられた友達だと思ってた子から


こんな事なら飲食業界になんて入るんじゃなかったと思ったこともあった

どれだけみんなが辞めても離れても僕には経営者には辞めるという選択枠はなかった


だから涙を拭いて覚悟した

もしもたとえみんなが辞めても最後の1人でも残ってる限り僕は泣かずにやり続けよう

それが経営者の宿命だと思った


だから今でもぼくは残ってくれている子に一際な感情を抱いている

この先のことなんてわからない
だけれど今こうしていてくれる子達のために全力を尽くそう
たとえ自分の利益が後回しになっても
何がなんでもこの子達を幸せにする義務がある
僕は本気でそう思っている


あれから8年


気づけば創業メンバーの純が辞めてから何人もの仲間が辞め最初のメンバーは1人もいなくなってしまった

それでも幾多の困難と苦楽を越えて

今も会社はありゴキゲン鳥は4店舗 焼肉業態1店舗になった

これが遅いのか速いのかはわからない

少なくともなんの根拠もなく8年前に5年で100店舗にすると言った僕は大ボラ吹きだ

だけれどこの8年の間に何度も諦めかけたけど諦めず
たくさんの事を反省して改善して行動して
何度もそれを繰り返してここまでやっと来た


今はもう寝ないで365日働けとは言えないし思えない

ただただどうしたらゴキゲンファミリーで働く子達のためになるかを考えている


経営塾 入学


この8年間で辛かった時になんども心の拠り所にしたのは
ワタミの渡邉美樹さんの本や言葉だった

僕以上にいくつもの困難を挫けず乗り越えてきた姿は
自分を奮い立たすだけに充分な材料となり諦めない理由にもなった

言わば僕にとっての唯一の尊敬できる経営者である


その渡邉美樹さんの経営塾に参加できることになった

今日はその第1日目

海外出店もあって参加できるか不確かだったけれど

学も知識も何も持ち合わせてない僕はもっと経営のことを学んで
僕が海外出店事業に行ってもしっかりと国内の事業を発展させる引き継ぎをしたかったから参加した

いまさら悔やんでも遅いけど10代好き勝手な事ばかりしていないでもっと勉強をしておけばよかったと思う

中卒を後悔したことはないけどもっと勉強しておけばよかったと思う


ぼくにとってのヒーローでもある渡邉美樹さんの経営塾で話を聞ける時間は僕にとって1秒1秒が至福の時間だ一語一句逃さず聞きたくてしがみつく

なんせこんな近くで生の生きた話を聞けて
本人より知ってるんじゃないかってくらいこの人のことを知っているくらい好きな人だ

しかし、話を聞いている中でなにか話し方や念いに初めてじゃない感覚を覚えた

最初はただ好きだったから?と思ったけど
途中で気づいた
あっ?僕の最初で最後の社長と凄い似てる!!
これはただの偶然ではないと思う

ぼくは気づけば渡邉社長と同じ様な念いを持った人に20代の時から学んでいたのだ

これからももっともっと学ばなきゃいけない


話の中で

「足を使って売上を取る話と頭を使って取る話が出てきた」

僕は頭がないから足を使ってばかりだ

だけれどそれは言い訳にはならない頭がないなら学べばいい


最後にワタミのお店に行って図々しくも写真を撮ってもらったのだが
周りから顔が硬いと野次られたw

そりゃあそうだ8年越しに好きな人と会えてるどころか同じ空間を過ごせてるんだ



だからちゃんと変顔してやった








どんな芸能人よりも嬉しい








終始テンション上がりっぱなしだったけど

何気に1番テンションが上がったのは

借りてるセミナールームの次回の講演の先生が

僕が行ってる姿勢の先生であり友達であったことw





姿勢が変われば人生が変わる


医院長凄すぎる!!w





姿勢が変われば人生が変わるし

経営者次第で会社は良くも悪くもなる

何が起きても悔いのないようにできる事を精一杯やりたい





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2013年人生はじめてのトライアスロン(swim bike run)に挑戦 15歳以来運動とは無縁の堕落した世界を生きて来た僕が 世界三大タイトルの IRONMAN ultramarathon100㎞ DMSサハラマラソン に死ぬまでに1度挑戦して完走してみたいと覚悟した 1㎞走れなかった32歳の僕が途方もない挑戦をしながら 人生に社会に経営に家族に生きるということに本気で向き合っている ロクデナシの僕にできるんだ他にできない人なんていない  人生はequalだ 仕事も家族も遊びもバランスが大事

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