創業16年目気づけば39歳
最近、遂に15年間予定を書いてはこなして赤く塗り潰しを繰り返してきた紙の手帳を卒業してGoogleカレンダーに以降しました。
携帯電話持ってないのに意味あるのかって?
手帳だけのために3年前にタンスに閉まったiPhoneの電源を入れてみました。
SIMカードは入っていませんが懐かしいです。
iPhone6ってもう古いの?
目次
あれから16年
会社を創業したのが16年前23歳の時
高校も行っていない中学で勉強もしていないそんなボクが果たして会社を設立して良いものなのかもわからずに、ただ勧められるがままに企業した
当時の目標や夢なんてのは
23歳でベンツに乗りたい
とか
毎日飲み歩きたい美味しご飯が食べたいブランド品が買いたい
そんなことばかりだった
20歳でアコギな金貸しの事務所に勤めて気づいたのは
世の中金が全てで金がなきゃなにもできない
そんな世の中のドス黒い闇だった
綺麗事なんていらなかったし言うつもりもなかった
この世の中で成功とは金と力を掴むことであり
全てはその上に成り立っていると思った20歳の成人式
ボクは酔っ払ってケンカして相手を殴り過ぎて拳が折れた
この先の自分にまとまな人生なんて用意されていなくて
成功のため以外に必要なことなんてないから
自分の人生なんてどうなったってよくて
他人の人生なんてもっとどうでも良かった
人生なんて生きるに値しない
それがボクのあの頃の答えだった。
栄枯盛衰の15年間
23歳でベンツに乗ったボクの欲求は留まることを知らずに
もっともっと欲しがった
高級タワーマンションに世界に2つしかない高級時計
繁華街で飲み歩く毎日と女遊び
それらの物はどれだけ手にしても一向に満足できなかった
心が満たされることは1度もなかった
あの当時うちの高級タワーマンションに遊びに来た知り合いの女の子に言われた言葉は
「お金もなんでもたくさん持ってるのにとても孤独そうですね」
だけれど当時のボクにはそんなことどうでも良かったしもっともっと欲しかった
自分はどんどん上に行ってると思ってもっともっと登り詰めたかった
ほんとは一歩もその場から動いていないどころかどんどん堕落していたのにも気づかずに
たくさん成功もして一晩で莫大なお金を稼いだこともあったし寝てるだけでお金が増えていることもあったけど、その分ジェットコースターみたいにガクンと下がったりたくさんの大事なものも失った20代だった
未だにボクが失ったものはほんとはなんだったのかもわからなければ
未だにボクが得たものがなんだったのかもわかっていない
正直な話あまり記憶がないのだ20代の
それはボクが毎日お酒ばかり飲んで記憶を無くしていたからなのか強く頭を打ったからなのかもわからないが
ほんとによく覚えていないのだ
とにかく色んなことがあり過ぎた
良いことも悪いことも全部が混沌とし過ぎて
普通の人が一生かけて味わう栄枯盛衰を20代の10年間で味わせてもらったみたいだ
人生の岐路三十代
何をどこで血迷ったのかどうでもよかったのか
30代になる直前にボクは女遊び全盛期のバブル絶頂期に
結婚をして飲食店を始めてそしてその後毎朝走り始めた
その時はこれらがこんなにも大きく影響してボクの人生を覆すほどにことになるとはその時は考える由もなかった
その後、
子供が産まれてすぐに愛人と女遊びがたたって結婚生活は修羅場と化し
そこから3年近くに及ぶ別居と裁判に発展し
軽はずみで始めた飲食店はその後の10年間のイバラの道へと続く入口になり
1km走れかったボクは年末に箱根駅伝220kmを一人で走るまでになり
高級車に運転手つけてたボクはバスと終電で通勤して
アルバイトの子に敬語を使っている人生になっていた
何がどうなったらこうも人生が変わるのか
果たしてなんで自分がこんな所にいるのかもまるでわからない。
三十代からは人生が早いよとよく言われたが
人生の変化が多過ぎて濃すぎてとてもじゃないが早かったとも思わないし
もう2度と味わいたくないほどな長い道のりだった
なんでこんなことになっているのだろう
ただただそう困惑するばかりだ
15年間続けてきたこと
その間15年間続けてきたことは
毎年毎年紙の手帳を更新して
今年やりたいことと目標を書いて
達成したら赤く塗り潰してまた新しい目標を書いて
その繰り返しをしたきただけ
そして今、三十代になる時に飲食業に入って洗礼を受けて覚悟をして
いつか海外に日本の本当に美味しい飲食店を出したい
そう思ったことの第一歩として
今月で完全に日本を離れ
L.Aで飲食店を出すための準備を始める
何度も計画したこの事業計画も最初の具体的な一声は5年くらい前だっただろうか
アメリカ時間だから今でもそうだが思った通りに事が進まない
そのおかげで計画から離れた人間もいたし難しさも感じた
だけどボクだけは諦めようとは1度たりとも考えなかった
しかし気づけば当時目標としていた
「2020年の東京オリンピックまでにはL.Aでお店を開店させる」
という1つの目標に向かって近づいている
ボクは日本が大好きで海外に行きたいわけでも住みたいわけでもない
だけれどなぜだか当時からこれはボクの使命かの様にボクの中では決まっていたのかもしれない
三十代あれだけ苦しんだのに四十代はもっと苦しくなりそうだ
Never give up! Today is hard, tomorrow will be worse, but the day after tomorrow will be sunshine!
ボクがいただいた大好きな言葉だ
たぶんボクの人生に平穏と平坦は用意されていないのかもしれない
今日も楽ではないが明日はもっとキツそうだ
だけどきっとその先には光り輝くものが待っている
今までもずっとそうだった
もうダメだと思っても足を止めなければ諦めなければその先の道へ続いていた
だからきっと今回も上手く行く
2020年 目標を書き続けて16回目
今年の目標はただ1つ
『L.Aゴキゲン鳥の成功』
このために大好きな走ることも抑えて、大好きな家族のこともほったらかして、大切な国内の会社も任せて、
ボクはただこの目標のためだけに人生を捧げる
あとは何をもって成功とするか細かく計画するだけ
国内最後の仕事
12月から国内にいるのは最後だったので、
たくさんの友達も新店の焼肉屋に訪れてくれて
一緒に走ってくれたり、飲みに行ってくれたり、
ほんとに楽しい毎日を過ごしいます
フライトも決まりボクはまるで二度と日本に帰ってこれないかの様に
もっとあれもやっておこうこれもやっておこうこの人にも会っておこう
そんなことが目まぐるしくて全部ができないのはわかっていても
本当は1月の残りは大人しく家族との時間を大切にしたかったのに
やっぱりボクは大人しくできないようで
最後の最後まで動き回っています
そして最後の仕事はまだまだやりたい事が本当はたくさんある新店の焼肉 弱肉強食🍖
今月はL.Aへの準備でやらなきゃいけないことも多くて毎日はいないけれど、予約をいただければその日は出勤します!
最後の最後まで1秒も無駄にせず
ボクの日本での第一の人生を彩ってくれた人達に感謝の気持ちを込めて
やれと言われたことは全部やれるだけやります
今日は弱肉強食のグランドオープン
国内残り14日
寂しがり屋のボクは寂しすぎる
だけれどあの人生に世の中に絶望した20歳の時から20年近く経ち
人生は生きるに値する
そう胸を張って言える人生に変わった
もっと話をしましょう大切な人
まだまだ残り14日もありますたくさんのご予約お待ちしております