帰る場所のなき旅
旅は帰る場所があるから旅
何年も前からボクはあちこちを旅するような生き方をしてきた
子供の入学式にはサハラ砂漠を走りに行っていた、
海の家でお店をやるとなればボク自身もアルバイトと共にひとつ屋根の下で生活して、
突然、四国のお遍路に行ってしまうわ、
アメリカに出店だと言えば先ずは自分が先陣をきって英語もできない(できないレベルが中学生以下)くせに現地に何ヶ月も滞在して
普通の家庭と呼ばれる者からしたら、「なぜそんな事が許されるの?」それが普通の疑問かも知れない。
それでもジッと一つの場所に居れないのがボクの性分だった
むしろ、子供が産まれたから今は何かができないとか、奥さんがうるさいからとやりたい事を我慢してる男を見ていると、こいつの人生の軸はなんなんだろう?そう思ってきたのが本音だ。やりたい事もやってやるべき事もやれば両方できるだろうと。
ボクは富士山に登りたければ、富士山の麓の温泉旅館に家族で泊まって、明け方4時に1人で静かに起きて走って富士山を登り駆け降りてきて、朝の10時には子供達4人を連れて富士急ハイランドに行って夜まで遊んだ
東京ディズニーランドに行けばまた、家族が寝ているうちに自分のランニングトレーニングを終えてディズニーランドホテルの周りの坂道を使って坂道ダッシュまでキッチリしてから、朝の開園15分前には優先入場でまたダッシュしてファストパスをかき集めて、閉園時間ギリギリまで子供達と遊んだ
別にこんなに家族のためにやってたなんてこれっぽちも思っていない自分が全部好きでやってたことだ
その見返りにボクは好き放題な生き方をしているのに、
帰る場所があるということと、家族が待っていてくれるという最高のご褒美をリターンされ続けてきた。それ以上に望むものなどない。
どんなに疲れて帰っても遅く帰っても酔っ払って帰っても、子供部屋をソッと覗き、4人全員の寝顔に頬にキスをしなかった日はただの1度もなかった。
いまボクはそんなものを全て失い帰る場所も居場所もなくなった
山梨の地にお店を開店させてこの10年間やってきたのと同じようにまた仲間と住み込んで立ち上げをしている
嫌々でもなく今までと同じ様に同じ気持ちでこの出来事を成功させるためだけに一心不乱にやっているだけ
でもときたま帰る場所と帰る理由のない虚しさがボクを襲い居場所の無さを感じる
家族は人生最大の幸せだ
子供は人生最高の宝物だ
大切にした方がいい
大切にしていても失う時がある
だからこそ自分の使命などにかられず、好奇心旺盛な旅などに翻弄されず、マザーの言ったように「今すぐ帰って家族を愛してあげなさい」
失ってからじゃ愛することさえ許されない時がある
例え、惨めでも冒険者でなくても果敢でなくても夢がなくても毎日が同じことの繰り返しでもいいじゃないか
家族より最高のものはこの世の中には存在しない
いまボクは帰る場所のない旅を続けている
帰る場所のない旅は旅ではない
今日の祝日の店休を利用して東京へ帰る
明日朝の離婚調停のためだけにwチーン