さよなら世田谷
ボクにとっての世田谷は
地元の様なものだった
19歳で東京の外れの大沢町を出て
中野、新宿と都会に流れて
子供が生まれて静かなところで暮らすためにたどり着いたのが世田谷だった
都内から微妙に離れたその環境では繁華街に行く事も少なくなり、朝は多摩川を走り、駒沢公園に子供達を連れて行き、
都会に行くのは仕事で渋谷に出るくらいになり
もしも人生に1番幸せな期間があるならあの頃だった。
だけれど人を踏み台にして生きて来たボクにはそんな落ち着いた幸せは当然続かなかった
パンデミックで社会が一変すると経営していた飲食店は潰れ人生は一転した
それでも最低限の倫理を守り、自分の守りたいものを必死にもがいて守ろうとした時に始めたのが、
駒沢の交差点のビルだった
2020年
落ち着いた空気の世田谷で静かに家族で暮らせて、たくさんあった店舗はなくなってしまったけど小さな焼き鳥屋と焼肉屋を長く続けられたらいいなと始めた小さな夢だった
だけれどその後、家族は家を出て行きボクは思い出のたくさん詰まった世田谷で生きている事さえキツくて仕方のない日々だった
それでも立ち止まらなかったのは何故だか自分でもわからない
必死にあの飲食店にとって魔の2020年でも通じる業態とやり方を考えて一時期大繁盛した焼き鳥屋だったがそれも長くは続かなかった
目まぐるしく変化するビジネスの世界では次から次に新しい事を取り入れ考えて進化させなければ昨日流行っていたことはあっという間に時代遅れになっている
それよりも辛かったのは最愛の子供達との思い出のたくさん詰まった駒沢公園のこんな近くで子供達に会う事も許されず生きていかなくてはならないことだった
もうダメかも
そんな事が何度も頭をよぎった頃
世界中を騒がせたガセネタのような風邪の大流行などはじめからなかったかのように世間は忘れ
世界との国境も回復して
またアメリカに挑戦できる道が奇遇にも開いてしまった
ボクは生きるために何かに挑戦しなきゃ止まってしまったら死んでしまいそうだった。
そして、
挑戦するように逃げるように
アメリカに渡米した。
そこから2年が経過した2025年年の瀬
駒沢のビルの全撤退が決まった
これで日本の飲食店は1店舗もなくなり
従業員は実質1人もいなくなった
本当なら2020年に全撤退しているはずだった
だけれど小さな焼き鳥屋を駒沢で小さくはじめることになってわずかな仲間が残って
少しでも彼等のためになる場所があるのなら続けて行こうという思いだけで残してきたが、やっぱり遠く離れてしまったところからは上手くマネージメントも経営もできずにこの度全撤退することにした。
それでもまたいつか日本で本当に美味しい飲食店やりたい気持ちはあり
借金抱えて倒産するわけでもなんでもないので
前向きな撤退である
ありがとう駒沢
ありがとう世田谷
ありがとうみんな
もう2度とこの場所に戻ってくることはないと思う
それにはツラい思い出が多過ぎた
でもまたいつかこの丸い地球で巡り合おう

パンデミックで経営が傾いたから傾いた看板で始まったチキン野郎の傾きが戻る事はなかったw