親父とゴルフとひとつ屋根の下
僕はゴルフが大っ嫌いです
基ゴルフが嫌いと言うよりも15年くらい前まではハマっていた
経営者ならゴルフぐらいできなきゃダメだろうというわけのわからない根拠で20歳を過ぎてすぐゴルフをはじめて会社でもコンペを毎月やって
2年くらいやってスコア90くらいで回れたところで周りを見て気づいた
若くしてゴルフが上手い社長は仕事してない。。
そして ゴルフをやめた。
それに当時は運動も兼ねて始めたのだが
普段運動もしていなかった僕には運動効果があり過ぎて腹が減り過ぎて
ゴルフ場のご飯もおいしくて食べ過ぎて見る見る太った
これはただの贅沢者の娯楽だと思って辞めた。
それでもゴルフ自体は素晴らしいと思う
18ホールはまるで人生だ
短いコースもあれば長いコースもあり
絶妙なところに設置されたバンカーや池
そしてなによりも
調子が良い時に油断するとまんまと崩れ
そこをグッと堪えて油断せず集中力を切らさなかった者だけが勝ち取れるスコア
なんとも人生の縮図であり堪らない
たまらないのだがこの贅沢な遊びは仕事をやり尽くして人生の艱難辛苦を乗り越えてある程度引退したあとの遊びでいいと思った
それより当時の僕に必要なのは苦楽を乗り越えるための強い精神と肉体を駆使して得る過酷な長距離のトライアスロンやマラソンの方が魅力的だったのだ
それでも1つの夢があった
それは些細でいて簡単そうに見えて中々難しい
例えば誰かにとって
いつか行ってみたいジョエル・ロブションであったり
ディズニー好きにとっての本場のフロリダのディズニーワールドであったり
それが僕にとっての小さくて大きな夢の1つ
親父とゴルフに行くということ
ちなみに捕捉しておくと僕の親父は僕の100倍ガンコである
僕が幼い頃、今でもはっきり覚えている
日曜日に親父がいると怖くて家にいるのが嫌だった
僕がまだ小学生のある日、
ロン毛のあんちゃん江口洋介主演の『ひとつ屋根の下』の最終回を何日も心待ちにしてやっとその日が来て見ていると、
あんちゃんが足を引きずりながら走る感動場面で、うちの鬼オヤジが帰宅した
僕もいつもなら怖いからまっ先に挨拶をするところが、何を血迷ったかあんちゃんに夢中で「お帰りなさい」の挨拶をし損ねた
気づいた時は時すでに遅し
親父の逆鱗に触れて
あんちゃんの感動場面そっちの毛で
顔面を踏まれるは蹴られるはのボコボコ
まだ小学生の僕には怖かったのももちろんだが
あんなに楽しみにしていたひとつ屋根の下の最終回を見れなかったことが子供心にも悲しくてしかたなかったのを今でもはっきりと覚えている
ハッキリ言って親父が嫌いだった
子供にとってとても理不尽に見えたしとにかく怖かった
17歳の頃取っ組み合いのケンカをして勝つまでは。
それでも、お前は20歳になったら即自分で家を出て全部自分で生計を立てろと言われていたので19歳で大好きなバイクを売って家を出てから
仕事をして家賃を払って掃除も洗濯も自分でして生きていくということを勉強しはじめた時には
親父が言ってたことや親父の教育方針に共感できる部分もたくさんあって
親父は僕のことを1人前の男にするためにああいう厳しい躾をしていたのかなと思うとその頃から感謝の気持ちに変わった
何よりも親父も僕が家を出て行かせたことである意味子育ての一区切りがついたのか、それともそんな僕でも必死に生きているのを見て少しは認めてくれたのか、たまに会っても以前のような怖くて威厳のあるガンコ親父ではなくなっていた
そんな親父に最後に怒られたのは、1人暮らしを始めて1回目のゴミの日
僕はもちろんゴミの出し方も出す日があることさえも知らなかったので
めんどくさいから適当にまとめてゴミ袋に詰め込んでとなりのマンションの前に毎日出していた
そしたら当然ながらとなりのマンションからクレームが来てシカトしてたら不動産屋に連絡がいきそこから親父の耳に入った
あれが親父に唸られた最後の記憶だ。
それからというものたまに会ってもまるで丸くなった親父に安心すると共に少し寂しさも感じた
話は遡り過ぎたので戻るが
25歳くらいの頃だろうかゴルフにめっきりハマっていた頃
親父がゴルフを好きだったのを思い出し
教えて欲しいからゴルフに一緒に行こうと誘うと
あっさり
「90切るまでは口を聞くんじゃねぇ」
と断られたw
その後ぼくも上記の理由からゴルフはまったくやらなくなってしまい
この15年弱でやったのは1.2回だったと記憶してる
ちなみにゴルフ好きだった親父が子供頃の僕に買ってくれたゴルフクラブは十代の時に全部ケンカで使って折れた
そりゃ毎度ブッ飛ばされるくらいの生き方もしていたのかもしれない僕自身が
そんな親父と家族を誘って
長栄家初の3世代全員参加の家族旅行を数ヶ月前から企画していて
先週末ついに実現できたのだ
そしてその旅行のスケジュールでゴルフに親父と実弟と回ることを企画した
まさかの台風19号で山梨側に行けずに一時は決行もあやぶまれたがなんとか辿り着く
東名ダメ
中央道ダメ
甲州街道ダメ
奇跡的にまさかの通れた道志道はこれ
もうダメかと思ったけど
こっちとら10年位上の思いが募っているのだ
なんとか8時間かけて山梨に到着してゴルフもできた
すると僕が20歳で家を出てから丸くなったと思っていた親父がゴルフになったら豹変
まずはジャケットを着ないでゴルフクラブに入ろうとして怒られる
半ズボンで怒られる
蛍光色過ぎて怒られる
せめてシャツをインしろと言われて僕だけなんかおかしなことになってる
しかしまさか38歳社長になってこんなに怒られることになるとは思わなかった
と言うより親父の威厳はまだ健在だった
なんだか安心した
もういつあの世に逝っちまうかもわからないから急いだけど
まだもう少し生き延びそうだ。。
結局、息子はいつまで経っても親父の前じゃ子供なのかもしれない
親父とゴルフに行く
些細な夢だ
なんてことはない
だけどそのなんてことのない事をやらない家族はたくさんいる
そんなことしてるうちに気づけば親は先に逝ってしまう
僕もウジウジしているうちに親はいい歳になってしまったがなんとか幸いにも両親共に生きている
僕がウジウジしているこの数年で両親は熟年離婚してしまった
初めはそれにもウジウジしていたけれど、今はそれも含めて2人の人生だと思える
とはいえ両親揃って旅行に行けるくらいなのだから離婚とかどうでもいいのかもしれない
みんなそれぞれ小さな夢を抱えて生きている
自分でやりたいこと
子供とやりたいこと
恋人と行きたいとこ
仲間としたいこと
そのどれもがちょっと手を伸ばせばできることなのに
色んな言い訳つけてやらない
僕も同じようにそうだった
こんな歳になる前に家族旅行ぐらい行けたと思うし
僕の手帳の夢項目には何年も前から『家族旅行』と書いてあった
こんな簡単なことなのに何年もかかってしまった
もしかしたらあと数年で叶わなくなってた可能性だってゼロじゃない
だからもっともっとなんでも手を伸ばしてもっとやってみたほうが良いと思った
家族で回れるゴルフは今まで経験したどのゴルフより楽しかった
こんなゴルフならまたやりたいと思った
人生は一瞬だ
気づいた時には大切なものを失い
人は失って初めてそのものの価値に気づく