人生苦なくして楽なし〜長榮潔〜

人生はファミコンのゲームじゃない

 
この記事を書いている人 - WRITER -
2013年人生はじめてのトライアスロン(swim bike run)に挑戦 15歳以来運動とは無縁の堕落した世界を生きて来た僕が 世界三大タイトルの IRONMAN ultramarathon100㎞ DMSサハラマラソン に死ぬまでに1度挑戦して完走してみたいと覚悟した 1㎞走れなかった32歳の僕が途方もない挑戦をしながら 人生に社会に経営に家族に生きるということに本気で向き合っている ロクデナシの僕にできるんだ他にできない人なんていない  人生はequalだ 仕事も家族も遊びもバランスが大事

 

クソ

 

 

 

小学校5年生で

担任の先生をクラスに入れず閉め出して授業をさせず

入って来たらみんなでバケツの水を掛けた

それなのにテストはクラスの頭良い奴が書いたのをほぼ全員で回して記入したから全員点数は一緒

授業中にクラスにいないことも多々あり屋上でBB銃の撃ち合いをしていた

 

給食は3時間目の授業の後には給食室に忍び込んで好きなもんだけ盗んで食ってた

ある時、校長先生が僕らのクラスだけ1人づつ呼び出し個人面談して出した答えは

 

「勉強しなくてもゲームしてても寝ててもいいからクラスから出ないでくれ」だった。

 

子供ながらにあの時感じた記憶は

人生ってやれって言われたことをやらなくてもなんとかなり、ルールも守らなくても大人はチョロい

こんな事して毎日過ごしててもニュースにならないんだから世の中って上っ面だなと思った

 

たぶん37年間の人生であの小学校5.6年の2年間が1番悪い事したからそんなで義務教育が終わってもまともに生きれるはずもなかった

 

 

中学卒業しても

万引きをしないとその日の飯は食えない

コンビニで万引きしたカップラーメンを数百メートル離れた違うコンビニでお湯を入れるバレるから

 

そんなのはまだまともな方だった

1年後には万引きするのもめんどくさくなって何十人もでコンビニに入りみんな好き放題カゴに入れてそのまま出てってしまう

店員さんはもちろん怖くて何も言えない

 

大好きだった尾崎豊が

盗んだバイクで走り出す

なんて歌を歌ったが

盗んだバイクの数なんて覚えてもいない

今でもハサミ1つあれば10秒でバイクを盗めるぐらい身についていると思う

 

毎日毎日喧嘩とバイクを繰り返してた

 

 

クリスマスもお正月も家の前に常にパトカーが待機していた

 

家の玄関には金属バットが何十本と置いてあるのに注意できる大人なんていなかった

 

警察も親も思ってる事は小学校の校長先生と同じだった

「なにもしなくていいから家から出ないでくれ」

 

16歳で家の車を盗んで運転して遊びに出て友達をひいちゃった時は朝起きて親父にボコボコにされた

 

母親からもらった手紙は何十通にもなり父親からは何度ぶっ飛ばされたかわからなかったが

 

その頃既に外で喧嘩してる相手は木刀や日本刀を振り回してる相手だった

それに比べたら親父の鉄拳制裁など痛くも怖くもなくなっていた

 

地元のアパートは落書きだらけで

 

日本にスラム街があるとしたらここだと思ってた

 

横浜ベイブリッジでバイクを停めて橋の手摺に登って本気でカッコいいと思ってた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アホでバカでクズで生きてる価値なんてとてもじゃないがなかった

 

 

本気で自分なんて生きてる価値がないと思ってたし

誰もが普通に望む幸せな未来なんていらないと思ってた

 

死ぬことも怖くないと思ってたしいつ死んでもおかしくない毎日を過ごしてた

本当の「死」の意味も知らないくせに

 

 

唯一のかけがえのないものは仲間だった

 

東京だけど都下の田舎だった僕らの地元は世界最強だと思ってた

 

誰にも喧嘩で負けない仲間もいたしなにをするにも自分達が1番偉いと思ってた

 

警察も他の不良も目じゃなかった

 

 

僕らはなにをしても許されて誰にも停められないそうやってこれからも生きていくんだ

 

腐ってるくせして本気でそう思って信じてた

 

 

 

 

 

当然だがそんなはずはなかった…

 

 

その制裁は同時に来た

 

仲間や自分も何人も警察に捕まり

調子に乗った僕らを許さない他のもっとデカイ勢力は

僕らを潰しにきた

 

 

今までそんな生き方を小学生からしてきた僕らを本気で助けてくれる人間なんているはずはなかった

 

強い絆で結ばれていると思っていた仲間はみんな鑑別所や少年院の中

 

大人の秩序にはじめて敗北を味わった

 

 

勝てない相手にもはじめて出会った

 

 

 

僕らは所詮1人ではなにもできない蟻ん子以下の虫ケラだった

 

 

僕は他の不良に叩きのめされ

1ヶ月入院して

生きてるのが奇跡だった

事実そこの不良集団の次の相手は殺された

 

 

名実共に手も足も出せない状態となり

 

僕たちの最強だと信じてた絆は脆くも一瞬で崩れた

 

自分の弱さと情けなさと小いささを突き付けられた17歳

 

 

仲間以外に頼るところもなかった僕は1人になればなにもできないただのクズだった

 

 

それから先の未来で反省してまともに生きてくれば良かったと本気で思えたのは30歳になってからだ

 

 

10代の頃 普通の人達が

義務教育で嫌々でも勉強をして教室にいて

親の金でも高校に行き大学を経て

新卒で就職したりしている中で

沢山のことを学んでいるのに

 

僕のして来たことは大人になりなんの役にも立たないことばかりだった

 

万引きの仕方がわかっても仕事には通用しない

喧嘩ができても法治国家では人をまとめられない

バイクが盗めてもパソコンはいじれない

バイクのコールが上手くても自転車には乗れない

盗んだバイクじゃマラソンで勝てない

 

 

30代になり僕がしたいと思った事の役に立つことなんて1つもなかった

 

それどころか足を引っ張る事のが多くて

一緒に仕事をした昔の仲間にさえ裏切られたりして

金が絡めば最強だと思ってた仲間の絆も僻みあい

 

もはや唯一の宝物であったはずの

地元と仲間ですら嫌いになりかけてた

 

 

まともになりたかった

 

まともに生きたかった

 

 

義務教育でビリでもいいから勉強もするべきだったし本ももっと読むべきだったしルールを守ることも覚えるべきだった

 

30過ぎて知り合って憧れた経営者やアスリートは

 

僕とは雲泥の差の生き方をして来た人たちばかりだった

 

僕もまともな会社を創りたかったし

トライアスロンで速くもなりたかったし

 

とにかくまともになりたかった

 

まともになりたいまともになりたいまともになりたい

 

そう願えば願うほど自分のして来た生き方を恥じた

 

少年院で読んだ本に

「恥の多い人生だった」

なんて言葉があったが

あの言葉は太宰治さんじゃなくて僕のためにあるとずっと思ってる

ちなみに太宰治さんは僕の地元で自殺して死んだ

 

 

もしも僕がなんでいま苦しい思いをして走ったりアイアンマンレースに出たりサハラ砂漠マラソンに出たり100mileマラソンに挑戦したり四国のお遍路を回ったりしてるのかと聞かれたら

 

 

贖罪だ。

 

 

過去にして来た過ちは二度と許されないがその消えないその罪を1つでも消したくて走ってる

 

そんな事をしても

僕が苦しい思いをしても

盗んだバイクは戻らないし

万引きしたカップラーメンもセブイレブンの棚には戻らない

殴った人の心の傷も消えないだろう

 

僕の罪は消えない

そんな事はわかってる

 

 

だけど唯一走ってる時だけは正直に苦しく辛く怖くて許されているような気がする

 

 

 

幼少の頃から一緒に育ちロクでもない事をして

だけれど最強の仲間だと思って唯一のかけがえのないもので

だけれど大人になってそんな自分の人生を呪いたくなるくらい嫌いになりかけた

 

そんな仲間と昨日久しぶりに集まって飲んだ

 

 

そしたら嫌いを通り越してやっぱり大好きだった

 

 

僕の人生がファミコンのゲームみたいだったらリセット押して最初からやり直して今度はもう少しまともな生き方をしてきたいと思ってた

 

 

だけれど残念ながら人生はファミコンじゃなくてしてきた事も通って来た道筋もリセットしてやり直しはできない

 

良い事も悪い事も積み重ねて来たことだけが本物だ

 

 

もう10代の頃に勘違いしてたように負けることがない最強ではないけれど

 

やっぱりこの仲間は最高だ

 

 

また次50歳になる頃

昨日来れなかったりいなかった仲間も集まれて

やっぱり最高だなと思えたら最高だ

 

 

 

 

 

僕はあのクソみたいな10代の中でも目に見えないなにかを得たと信じてる

 

親を始め迷惑をかけた人々は

さぁまた明日から贖罪の旅路だ

 

2018.4.8

 

 

この記事を書いている人 - WRITER -
2013年人生はじめてのトライアスロン(swim bike run)に挑戦 15歳以来運動とは無縁の堕落した世界を生きて来た僕が 世界三大タイトルの IRONMAN ultramarathon100㎞ DMSサハラマラソン に死ぬまでに1度挑戦して完走してみたいと覚悟した 1㎞走れなかった32歳の僕が途方もない挑戦をしながら 人生に社会に経営に家族に生きるということに本気で向き合っている ロクデナシの僕にできるんだ他にできない人なんていない  人生はequalだ 仕事も家族も遊びもバランスが大事

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


Copyright© 〓IRONMANへの道.〓 , 2018 All Rights Reserved.